メソポタミア

古代オリエント世界
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メソポタミアとは

メソポタミアとは北のティグリス川と南のユーフラテス川の間の地域。
メソポタミアでは灌漑、排水施設を整備し、この川の水を利用すれば、豊かな農業生産が可能であった。
そして人口が増加し神殿を中心とした村落が成立し、銅・青銅器も普及しだした。文字が発明されたのはこのころ。

シュメール人の国家建設

村は都市に発展し、食糧生産事業に携わらない者(戦士、神官、商人など)が生まれた。メソポタミアで最初の都市文明を築いたのはシュメール人。前2700年頃まで都市国家が多数形成、代表的なものはウル、ウラク、ラガシュなど。中心部にはジッグラトと呼ばれる神殿があった。王が神の名のもとに神権政治を行った。
交易により必要物質を手に入れ豊かな経済力を手に入れ、高度な文明を築いたが、セム語系アッカド人によって征服された。

アッカド王朝

前24世紀
サルゴン1世のときにメソポタミアを統一し、アッカド王朝を建国。
第4代の王、ナラム・シンはアッカド王朝の最盛期を築き、四方世界の王と称した。その後、東方の民に滅ぼされる。

シュメール人の復活

前3000年紀の末

ウル第3王朝のもとでシュメール勢力が復活、しかし、セム系アムル人がメソポタミアに侵入し、崩壊。
シュメール人はこのご歴史の幕に現れることはない。
(シュメール王が十六菊花紋を王の紋章としていたことから天皇家のルーツはシュメール人であるとする説もある。)

バビロン第1王朝

前19世紀
アムル人がバビロンを都とする古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を建国。

ハンムラビ王

前18世紀
第6代目ハンムラビ王のとき全メソポタミアを統一

中央集権国家に発展。
シュメール法を継承したハンムラビ法典(フランスの探検隊がペルシアの古都スサで石碑に刻まれた原文を発見)を制定。
特徴
目には目を歯には歯を」の同害復讐法の原則
身分により異なった刑罰を課す
なお、ハンムラビ王は治水事業でも成果を上げた。
インド=ヨーロッパ語系民族の侵入
上記の民族が先住民を撃破。

ヒッタイト王国

前19世紀頃、
小アジアのボアズキョイ(ハットゥシャ)を都にヒッタイト王国を建国。
全16世紀には古バビロニア王国を滅ぼした。
南進してミタンニ・エジプトと抗争。
カデシュの戦い…vsラムセス2世(エジプト新王国)
シリアをめぐって争った。
引き分けに終わり世界最古の講和条約が結ばれた。
ヒッタイトが強かった理由
馬と戦車に加え、鉄製武器を使用したことによる。
前1200年頃
バルカン方面から来襲した民族によってヒッタイトは滅亡。
→製鉄技術がオリエント中に伝わった。

メソポタミアの混沌

古バビロニア王国が滅んだあと、インド=ヨーロッパ語族のカッシート人が侵入し、バビロン第3王朝を建国し400年支配、フリル人がメソポタミア北部に北シリアにかけてミタンニ王国が成立し前15世紀~前14世紀半ばまで強い勢力を誇示した。
民族大移動の波を東地中海地方を襲うと混沌は大きなものとなった。

メソポタミアの文化

多神教(ただし民族ごとに異なる)
古バビロニア王国のときはマルドゥクが国家神
シュメール人が楔形文字を生み出し、最古の法典と言われるウル・ナンム法典を作った。さらに言語系統のことなるセム語系やインド=ヨーロッパ語族の民族のあいだまで使用されアケメネス朝に至るまで使われ人々はこの文字を粘土板に記した。占星術や農作業のために天文・暦法が発達した。六十進法に基づく時間の観念や7日を1周間とすることは現代に引き継がれている。

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