ササン朝

ササン朝アルデシール1世がパルティアを倒して、クテシフォンを都においた王朝。

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アルデシール1世

アケメネス朝ペルシア下のペルシア帝国の復活を目指し、イラン民族の伝統宗教であるゾロアスター教を国教に定めた。国家の統一と中央集権国家の確立を目指した。

シャープール1世

第2代シャープール1世「イラン人および非イラン人の諸王の王」と称し、
東方ではクシャーナ朝を滅ぼして、インダス川西岸まで領有。

エデッサの戦い

西方ではエデッサの戦いで260年軍人皇帝ウァレニアヌスを捕虜とした。

商権争い

また、東西交易独占を狙って航路を整備し、ローマ商人が撤退したあとの商権をめぐって、
ペルシア商人とエチオピアのアクスム商人が争った。アクスム王国はアラビア半島南西部まで進出しており、ササン朝には脅威だった。

エフタルの侵入

5~6世紀エフタル族の侵入とゾロアスター教異端の原始共産主義的思想を説くマズダク教が流行して大混乱になる。

ホスロー1世とササン朝の全盛

ホスロー1世ビザンツ皇帝ユスティニアヌスに対抗して戦況有利に。トルコ系遊牧民、突厥と同盟してエフタルを挟撃して滅ぼした。またマズダク教を弾圧して、国力は回復し、ササン朝全盛期へ。

ササン朝の滅亡

ホスロー2世

ホスロー2世の代になると領域は最大になるも軍事費調達に重税になり、さらにティグリス川大氾濫で危機的状況に。

ニハーヴァンドの戦い

642年ヤズダギルド3世はニハーヴァンドの戦いでイスラーム軍に完敗し、651年逃亡先メルヴで暗殺され、王朝は滅亡。

ササン朝の文化

ゾロアスター教

ゾロアスター教が国教とされ、経典アヴェスターが編纂。しかし、民間宗教に寛容な政策をとっていたため仏教徒・キリスト教徒・ユダヤ教徒が大量にいた。

マニ教

3世紀にはゾロアスター教・キリスト教・仏教など組み合わせたマニ教が創始されたが異端として弾圧された。
(中国では摩尼教と呼ばれた。)

キリスト教ネストリウス派

431年エフィソスの公会議でキリスト教ネストリウス派が異端とされると、ネストリウス派を受け入れた。(中国ではネストリウス派は景教と呼ばれた。)

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