アテネ

ギリシア世界とヘレニズム世界

イオニア人はアッティカ地方にアテネを建設した。
アテネでは前8世紀半ばから貴族政治に移行し、アルコン(ギリシア語で支配者)と呼ばれる役人が選ばれ、統治した。
前7世紀には任期1年に限定されたが役人は貴族に限定された。
前632年キュロンはアクロポリスを占拠して独裁しようとするも失敗。
前621年ドラコンが立法者として現れ、成文法が制定。
前6世紀初め
借財によって身体を抵当に入れて、隷属的労働に陥る人々(ヘクテモロイ)が増加。
前594年ソロンがアルコンに選ばれ、調停者として改革。債務奴隷の禁止。負債の帳消し、市民の財産によって、500メディムノス級・騎士級・農民級。労働級の4身分に分ける財産政治などの改革を行った。役人は上位三階級のみ。

アテネの民主主義が促された。
前561年ペイシストラトスは戦争で活躍して、山地の貧しい農民を支持者として、独裁権力を握った。こうした人達は僭主とよばれ、非合法的にポリスの権力を奪取した。ペイシストラトスとその子たちによる僭主政治は30年以上続き、貴族の土地を最も貧しい農民に土地が配分された。ラウレオン銀山を開発して、アクロポリスやアゴラの神殿を美化し、ホメロスの叙事詩を書物として流布など愛国心を高める政策を行った。
また、陶器工業が盛んになり、赤絵式陶器に代わって簡単な黒絵式陶器が作られるようになったのも彼のおかげである。
ペイシストラトスの子が暴君として追放され、
前508年クレイステネスが広い層の平民の指示を得て改革を行う。血縁に基づく4部制の解体を行い、デーモスに登録するなどして、10部族を新設。
また、僭主の出現を防ぐために定めた、陶片追放(オストラシズム)の制度も有名。
もしかしたら続くかも…。

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