アテネ民主政

デロス同盟によりアテネは強い支配権を獲得。
一方国内は強い民主政を敷いた。
国内ではペルシア戦争によって活躍した三段櫂船の漕手として貢献した下層市民の発言力が増大。
貴族の中でも民主派が台頭。
前461年
寡頭派(上層の貴族や富裕市民だけで政治を行おうとする派)のキモンが失脚し、
民主派のエフィアルテスが登場し、アレオパゴス会議の権限を弱めた。
エフィアルテスの暗殺後、
ペリクレスが登場し、民主政を徹底。
民会は年に約40回ほど開かれるようになり、
役職も将軍職を除いたものはすべての市民から抽選で選ばれ、
任期1年、農民に配慮して、すべての職に日当支給。
アテネ民主政の欠点
女性や奴隷は参政権がなく、もちろん外国人(メトイコイ)もなく、さらに不動産所有も禁止。
前451年
市民権法
両親がアテネ市民・アテネ女性ではなければ、市民権を所有できない。

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