スマトラ

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港市国家の中国への入貢

港市国家…港町を拠点に交易をもとに国家形成した国家の呼称。

スマトラ島のパレンバン(ジャンビ)を都としたマラユ(摩羅游国)が644年中国に朝貢した記録が残っている。

 

港市国家シュリーヴィジャヤ

7世紀
スマトラ島でスリーヴィジャヤ(シュリーヴィジャヤ)王国が登場し、
都はスマトラ島東部パレンバン付近。現在のインドネシア共和国の南スマトラ州の州都。
パレンバンは19世紀以降のものでシュリーヴィジャヤ時代の中心は、ブキ・シ・グンタン・マハメルと言われるマレー族の発祥の地とされる丘。そこがシュリーヴィジャヤ時代の聖地。丘の麓に集落があったと考えられる。
しかし、現在に至るまで、寺院や王宮などの遺跡は見つかっていない。
シュリーヴィジャヤの情報はあまり残されておらず、誰が建てた国なのかはわかっていない。
海上交通海路の要所のマラッカ海峡とスンダ海峡を押さえ、マレー半島、ジャワを支配し、
カンボジア・チャンパーへ遠征軍を送った。

義浄とシュリーヴィジャヤ

大乗仏教が栄え、唐の仏教僧で「大唐西域求法高僧伝」の著者義浄はインド旅行の往復ともシュリーヴィジャヤに立ち寄った。
671年の中国出発後、20日ほどでシュリーヴィジャヤ(仏逝国)に着いて、半年滞在。
彼が書いた「南海寄帰内法伝」にはこの国の仏教の様子も書かれている。
689年に義浄が7月に不運にもシュリヴィジャから広州まで帰ったがすぐに11月引き返した。
692年

唐・宋とも交易して、唐代には室利仏逝、宋代には三仏斉として知られる。

シュリーヴィジャヤの宗教

8世紀から13世紀にかけてのシュリーヴィジャヤ王国では大乗仏教の信仰が大いに行われていた。それに加えて、寺院や仏像などが多く作られた。マレー半島の東海岸のチャイヤーには寺院の遺跡もあり、様々なものが発掘されている。其の中でも、青銅の観世音菩薩像(かんぜおんぼさつぞう)は傑作である。

シュリーヴィジャヤの滅亡

11世紀前半南インドのチョーラ朝の海軍の来襲もあり、衰退し、
マジャパピト王国の傘下に入ることとなる。

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