湯築城(ゆづきじょう)説明

湯築城(別名:湯月城)は河野氏150年の本拠地。
河野郷の高繩城を廃し、道後平野の中心部に築城したのが本城である。
現在の道後公園がかつての城址である。
湯築城の名前はこの地域一帯が「湯築の丘」と呼ばれていたことによる。
この城は伊予では一番大事な城で、
湯築城,大州城,来島城,千里城,小湊城,櫛辺城,壬生川城,興居島城,鹿島城,本尊城は城割の際も残された。
歴史
後醍醐天皇建武中興を経て、足利尊氏にいち早く臣従した結果、
承久の乱で院側について失われていた旧領を回復した。
それまで風早郡河野郷にあった本拠地を温泉郡道後にうつしたのである。
しかし、一族の土居,得能,忽那,村上氏が南朝側についたため激しく対立していた。
軍事的・政治的・経済的・文化的・地理的にも湯築城は優れていたため移したと考えられる。
豊臣秀吉の四国征伐
小早川隆景の大軍は河野氏の支城を攻めると、
城主の河野通直は降伏した。
小早川が伊予35万石の領主になると、
河野一族や部下は小早川の配下となった。
しかし、わずか2年で小早川は筑前に移封された。
代わって湯築城の城主となったのは
11万石の福島正則である。
正則もまもなく今治城に移り、
湯築城は廃城となった。

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