魏晋南北朝の社会~土地制度編~

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魏の屯田制

もともとは漢代の国境周辺で行われていた
平時は農民として耕し、戦時は兵士として戦う、兵農一致の制度だった。
これを軍屯という。
魏の曹操はこれとは別に戦乱のため荒れた土地を国有化し、
人民を募集して、耕させて、その収穫の5~6割を小作料として徴収する土地制度。
これを民屯という。魏の財政はこれに依存していたといわれる。
なお呉も民屯を行っていた。

西晋の占田・課田法(せんでんかでんほう)

大土地所有を制限するために行われた。
占田とは、土地所有の最高限度を定めたもの。
男子は70畝、女子は30畝を上限とした。
官人には官品に従って占田の上限が決められた。
課田とは農民に国有地を割り付け耕させたという説などがある。

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