唐の建国と貞観の治

隋・唐時代の繁栄
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唐の建国

李淵(りえん)とは?

太原留守の任にあった

隋末の混乱の中、各地の反乱を抑えて、
中国を再統一したのは
李淵(りえん)・李世民(りせいみん)親子
であった。
関中を占領すると、
李淵(高祖)を建国し、
都を長安に定めた。
人口は100万人を超え、
当時のアッバース朝の都バグダードと肩を並べた。

玄武門の変

626年、玄武門の変
兄の皇太子だった李建成
クーデタによって殺害し、弟も殺害し、
第2代皇帝太宗として即位。
628年、天下を統一。

貞観の治

太宗の政治・・・貞観の治
(房・社と並び称される房玄齢・杜如晦、天使の鏡と称された魏徴らの名臣に支えられた政治。「貞観政要」にまとめられた)
  • 諸制度を整備
  • 東突厥を撃破
  • 天可汗(テンクリ=カガン 王の中の王)の称号を西域諸国から送られる。

→大いに唐の国力を伸長

明の洪武帝も日本の徳川家康も太宗の政治を模範とした。

高宗の政治

  • 西突厥を大破し滅亡に追い込み、アラル海に至る西域を支配下に収めた。
  • 新羅と結んで、663年、白村江の戦い日本・百済連合軍を倒し、高句麗・百済を滅ぼす
  • 辺境に監視機関として六都護府を置き、平壌に安東都護府を、北ベトナムに安南都護府を建てた。

唐

羈縻(きび・・・牛や馬が逃げない程度に緩やかに結びつける)政策が行われ、
実際の政治は征服した諸民族の族長に行わせた。

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