玄宗の開元の治

武韋の禍をおさめた
玄宗第6代皇帝に即位しました。
28歳の若さでした。
意欲的に政治に取り組み、当初は
開元の治と呼ばれる善政を行いました。
都の長安は空前の繁栄を見せており、
文化は爛熟期を迎えていた。
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律令体制を脅かす社会問題

その裏では律令体制を脅かす
重大な社会問題が起きていた。

府兵制の乱れ

第1に、府兵制の乱れである。
均田農民が没落し、土地を捨てて逃亡する
逃戸(とうこ)の増加が問題となっていた。
そのため括戸(かっこ)と呼ばれる逃戸を新たに戸籍につける
政策が財務官僚・宇文融(うぶんゆう) によって推進されたが、
失敗に終わった。
こうして、府兵制は健児と呼ばれる
職業兵士を雇う募兵制に移っていった。
722年玄宗が12万の兵を募集した。

羈縻政策の破綻

第2に、服属民族の唐朝に対する自立・反抗の動きが加速し、羈縻政策が破綻したこと。
このため、周辺異民族にそなえて、辺境に募兵集団の指揮官である十節度使(藩鎮/はんちん)
設置された。

タラス湖畔の戦い

751年、タラス河畔の戦い高仙芝(こうせんし)率いる唐軍がアッバース朝の軍隊に
大敗北した事件は、唐の対外的弱体化を表すものになった。

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