元末の情勢と紅巾の乱

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元末の情勢

元末の混乱

14世紀、
クビライの次の成宗の死後、帝位継承をめぐり相続争いが続いた。
帝位継承制度がクリルタイのままだったので、一族の権力争いが続いた。
代表的な例として、上都派と大都派にわかれた混乱である天暦の内乱が起こる。
それに加えて、華北の大雨や黄河の大氾濫や江南の干ばつといった自然災害が頻発するも
元朝はなんら有効な手立てを講じなかった。
また、モンゴル人貴族に対する定時臨時の賜与やチベット仏教に対する多額の布施により、
財政が圧迫され、財政難に陥った。
その結果、塩の専売価格の釣り上げや再測量による税の増徴、さらに交鈔(こうしょう)と呼ばれる大きな紙幣を濫発し、
紙幣価値が暴落し、物価が暴騰する、いわゆるハイパーインフレになった。
例えば、米価は700倍上昇した。
民衆は非常に苦しんだ。

紅巾の乱

南朝の念仏結社に端を発する、
弥勒下生(弥勒如来が現れ、衆生救済し楽土実現する)
という考えの宗教結社白蓮教が民衆の中で人気となり、
1351年、まず、韓山童(かんざんどう)劉福通(りゅうふくつう)
河北・河南一帯で挙兵し、大規模な反乱を起こす。
また、反乱を起こした農民たちが、赤い頭巾をまとったことから
紅巾軍(賊)と呼ばれた。
韓山童は「宋の徽宗八世の孫」と称し、漢王朝復興を呼びかけた。
さらに、長江中流では、徐寿輝(じょじゅき)に率いられた
白蓮教徒も蜂起した。
しかし、どちらも勢力的に今ひとつで、どちらも衰退してしまった。
1360年ごろ、群雄割拠の時代へ!

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