格式、儀式、権門・寒門

嵯峨天皇の代に法整備が進んだ。
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格式

律令の補足修正・補足した令である新法の格(きゃく)と律令書格の具体的な施行細則に分けた。律令にかわる新法が平安時代になると不可欠となった。奈良時代は律令の時代。平安時代は格式の時代とも言える。

弘仁格式

こうして、弘仁格式(こうにんー)藤原冬嗣によって編纂された。

貞観格式

その後も、清和天皇の時に、貞観格式(じょうがんー)が編集された。編纂の中心人物は藤原氏宗(ふじわらのうじむね)である。

延喜格式

醍醐天皇のときに、延喜格式(えんぎー)が編纂されてた。延喜格式は格・式それぞれ担当者が分かれており、延喜格を編纂したのは藤原時平(ふじわらのときひら)、延喜式を編纂したのは藤原忠平(ふじわらのただひら)である。延喜格式と前の弘仁格式・貞観格式と合わせて、三代格式と呼ばれている。格については、三代格式の中で3代の格だけを集めて分類した類聚三代格(るいじゅうー)が、式については、延喜式が今日伝わっている。

交替式

その他に国司交替の規定として延暦・貞観・延喜の3代の交替式も作られた。

注釈書

令義解

養老令撰注釈書として833年に清原夏野(きよはらのなつの)が編纂した令義解(りょうのぎげ)が編まれた。令の解釈として公的に統一した。

令集解

惟宗直本(これむねのなおもと)私的に編纂した令集解(りょうのしゅうげ)が編まれた。令集解は養老令の注釈書であると同時に、大宝令の注釈も引用している。

儀式

嵯峨天皇の時代には、朝廷での礼儀作法等を編纂した書物がだんだんと作られるようになった。こういったまとめたものを儀式という。

権門と寒門

権門

平安時代の前期以降に、桓武天皇以後、天皇の政治的地位は高まり、時を追うとともに政治への発言力をつけた特権的な天皇と近い立場の皇族や貴族のことを院宮王臣家(いんぐうおうしんけ)権門勢家(けんもんせいか)という。9世紀ごろよりその名前は呼ばれ始めた。

権門の方々はその力を背景に多くの土地を、労働力を駆使して、土地を開発したり、あるいは荘園の寄進を受けたりするなどして、私的に集積し、勢いを振るった。拡大していくと、院宮王臣家の経営が国家財政と衝突することもあった。

 

寒門

政界入り等などはとても望めそうにないような中小下級貴族のことを寒門(かんもん)という。寒門の中には進んで権門の家人になるものもいた。

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