神宗の宰相・王安石の新法~その政策の内容は?~

宋の中央集権化

11世紀後半
財政破綻を克服するため、
第6代皇帝神宗(しんそう)は改革を目指した。

神宗に登用されて約7年の間、
宰相として改革を実施したのが官戸出身の王安石(おうあんせき)

 

彼は政治家にして唐宋八大家の文人でもある。

王安石は「紅一点」という言葉の生みの親です

王安石が断行した富国強兵のための諸政策新法という。

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主な新法

富国策

  • 青苗法(せいびょうほう)は小農民救済のため2割以下の低利で穀物や資金を貸しだし、収穫時に返納させる法。地主が営む高利貸に苦しむ貧農を救済する法。
  • 市易法(しえきほう)は中小商人保護の目的とした法。都市に住む中小商人から、商品を買い取り、低利融資。豪商に対抗。
  • 均輸法(きんゆほう)は各地の特産物を政府が買い上げ、不足地に転売するための法。物価の安定・流通に役立ったが、大商人の中間搾取による利益を奪うものとして、激しく反対された。漢の武帝の均輸法と狙いは同じ。
  • 募役法(ぼえきほう)は農民の労役を軽減するために、免疫銭を徴収して、これを財源に労役を望むものを募集するための法。従来、免疫特権のあった官戸・寺観からも免疫銭(助疫銭)を徴収して雇銭の財源に充てた。
  • 方田均税法(ほうでんきんぜいほう)は検地して、土地の良し悪しにより、税額の差をつける法。生産力により5等に分けて、地税の公平化をはかった。

 

強兵策

  • 保甲法(ほこうほう)は農閑期に軍事訓練を行い民兵の養成をはかる法。
    民戸10家を保、50家を大保、500家を都保に編成し、治安維持にあたらせた。
  • 保馬法(ほばほう)は農民に馬を貸与し、戦時に軍馬として徴発した法。
    平時には農耕馬として使用することを許した。

官僚の党争

財政危機の打開のために、
王安石は中小自作農や中小商工業者の生活を安定させ、生産増加を目論みました。
それと同時に経費を削減し、歳入を増加させることによって、
国家財政の安定と軍事力の強化も企てました。

しかし、強引な改革路線は司馬光ら保守派官僚の間で激しく対立し、
宋王朝の政治は混乱が増していった。

新法党

王安石の改革を支持した官僚グループ。

旧法党

王安石の改革を反対した保守的な富裕層を基盤とする官僚グループ。中心人物は司馬光。彼は歴史家でもある。文豪として著名な蘇軾(そしょく)もその1人。

1086年司馬光が宰相となり、
新法を廃止して旧法を復活させた。
その直後、司馬光は病死することになります。

方臘の乱

国家財政は悪化し中小農民の没落化が進み、1120年には睦州の方臘が圧政に対して、反乱を起こした。自分を聖公と称して、永楽という年号を定めた。かくして100万人を動員した方臘(ほうろう)の乱が江南で起こったわけだが、童貫(どうかん)率いる宋軍に半年余りで鎮圧された。しかし更に国力が乱により衰退した。

(昔はマニ教を奉じる秘密結社の教祖だと思われていた方臘は現在では、それを否定する説が有力である。)

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