宋の社会

宋の中央集権化
スポンサーリンク

形勢戸と官戸と佃戸

唐末から台頭してきた宋代の新興地主層は形勢戸と呼ばれ、そのうち官僚を出した特権階級層は官戸という。官戸は戸籍に明記され、差役の免除など役の減免などの特権が一代に限って与えられた。彼らは大土地所有者たちで、彼らの土地を荘園という。荘園内の主な担い手は佃戸と呼ばれる小作農家であった。佃戸は法的には自由民であるが、結局は形勢戸のもとで働かざるを得なかった。小作人は収穫物の50%を納めなければならなかった。

江南の繁栄

北宋のとき、ベトナムから伝わった占城稲(チャンパー米)は日照りに強い早稲(わせ)。導入すると、江南の水田の90%近くがこの品種となり、また、二期作や二毛作を促した。さらに、囲田(いでん)や圩田(うでん)、湖を囲った湖田が開発。生産力アップに貢献・宋代中期から江南地方(長江下流域)が、中国の穀倉地帯の中心と成ったことから「蘇湖(そこ)(江浙・こうせつ)熟すれば天下足る」という諺ができた。こうして、中国の経済の中心江南へと移ったのである。

宋の商業

地方の発達

唐代の坊市制崩れ、宋代では自由な時間帯で活動することが出来るようになった。宋代に地方で場外に自然発生的に生まれた交易場は城内の城と比較して草市(そうし)と呼ばれ、小都市の鎮や市、店に発展するものもあった。

硬貨と世界初の紙幣

銅銭は宋銭とも呼ばれ、大量に鋳造され、隣接諸地域でも流通。手形から発展した北宋で最初の紙幣は交子。南宋で発行された紙幣は会子。交子は四川の成都の金融業者が発行した預かり手形を有価証券として取引に利用していたものを、政府が奪って発行流通させたもの。会子は南宋の金融業者が発行した為替手形に由来。政府によって兌換紙幣(金などと交換可能な紙幣)として発行。

同業組合

宋で営業の独占や相互扶助のために作られた同業商人組合を行(こう)という。手工業者の同業組合を作(さく)という。業種ごとに組合が作られた。

海外貿易

宋代になると広州以外の港市にも海上貿易を管理する官庁である市舶司が設置されるようになった。泉州・温州・明州(めいしゅう)(明以後、寧波(にんぽー))・杭州・秀州・密州などに設置された。宋代には日本との交易で栄え、日本からの禅の僧の遊学地としても知られた。泉州はマルコ・ポーロによってのちにザイトンの名で西方に広まった。

唐代中期には一般民衆の間にも広がり、宋代には国内のみならず、周辺国にも普及させた。宋代に江南で広く栽培されるようになった茶は、やがて中国の代表的輸出品となったのである。

陶磁器

喫茶の風習が強まり、陶磁器生産が盛んとなり、青磁や白磁に代表されるすばらしい宋磁が作られ、中でも江西省にある陶磁器業で有名な都市は景徳鎮である。

娯楽

城内の一等地には瓦市(がし)とよばれる繁華街ができ、茶館(さかん)や酒楼(しゅろう)という飲食店。匂欄(こうらん)という演芸場などが設置された。

コメント

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。