弥生時代の小国の分立~ムラからクニへ~

弥生時代
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クニ

強力な集落は周辺の集落を武力制圧し、次第にクニと呼ばれる政治的まとまりに発展。

集落

環濠集落

まわりに濠や土塁を張り巡らせた、防御用施設をもつ集落。どうやら地域間で争いがあったようだ。
韓国でも環濠集落が見つかっている。九州から関東地方に分布。

吉野ヶ里遺跡

佐賀平野の遺跡。2重の環壕を持つ40ヘクタールにおよぶ巨大な環濠集落の遺跡。墳丘墓や甕棺墓、望楼と推定される掘っ立て柱の跡が見つかった。「クニ」形成の証拠。

その他環濠集落の遺跡

大阪の池上曽根遺跡、奈良県の唐古鍵遺跡、横浜の大塚遺跡。

高地性集落

山頂や丘陵上に作られた集落。瀬戸内・畿内を中心に分布。代表は香川県の紫雲出山遺跡。(しうでやまいせき)

中国との関係

日本人への蔑称「倭人」

弥生時代の日本人への呼び方。中国の史料で、初めて倭人が登場するのは後漢の班固が編集した「漢書」地理志。

「夫れ(それ)楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為る。歳時を以て来たり献見すと云ふ。」

楽浪とは紀元前108年に前漢の武帝が置いた朝鮮半島の4郡の1つ。現在の平壌付近にあたる。倭人がそこへ定期的に貢物を運んだようだ。

奴国(なのくに)

范曄(はんよう)が編集した「後漢書」東夷伝によると、紀元後57年(建武中元2年)に奴国の王が使者に朝貢させ、後漢の皇帝・光武帝から印綬を与えられた。江戸時代(1784年・天明4年)に福岡県志賀島(しかのしま)で金印が発見された。志賀島は弘安の役での激戦地。現在、金印公園が設備されている。

漢委奴国王(かんのわのなのこくおう/かんのいとこくおう)と記された。

漢倭奴国王

金印の一辺は23.5mmで、金の含有率は95%。福岡市博物館蔵。金印の取っ手は蛇で作られている。陰刻で書いてある部分が減っこむように写る。

倭王・帥升(すいしょう)

「後漢書」東夷伝によると、紀元後107年(永初元年)に、外国史上初めて掲載された倭の国王帥升らが生口(せいこう・奴隷)を160人献上。

「倭の国王帥升ら生口百六十人を献じ、請見る願う。」

 

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