5世紀の日本と倭の五王

古墳時代
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5世紀の日中関係

『宋書』倭国伝 (そうじょ/わこくでん)

5世紀の日本のことが書かれてある中国の歴史書。宋書を編纂したのは、沈約(しんやく)。

倭の五王

讃・珍・済・興・武のこと。次々と中国へと使者を派遣した。
済は允恭天皇(いんきょうてんのう)、興は安康天皇(あんこうてんのう)、武は雄略天皇(ゆうりゃくてんのう/ワカタケルの大王)であると比定されている。
他は決まっていないので、試験などには出ないが説だけ書くと、
讃は応神天皇・仁徳天皇・履中天皇をさす説。珍は反正天皇(はんぜいてんのう)・仁徳天皇をさす説がある。

倭王武の父は、倭王済である。
ちなみに興と武は兄弟。

稲荷山古墳(いなりやまこふん)

埼玉県にある5世紀の遺跡。出土した辛亥銘鉄剣には裏表に金象眼115文字を記した銘文がある。その中に「獲加多支歯王」という文字があり、それは記紀でいうワカタケル大王、雄略天皇をさすとみれられ、倭王武にあたることはほぼ確実視されている。辛亥とは西暦471年をさす。

江田船山古墳(えたふなやまこふん)

熊本県にある遺跡。稲荷山古墳と同じく、大刀が発掘された。それには銘文として「獲加多支歯王」が同じく書かれている。

倭王武の上表文

 興死して、弟武立つ。自ら使持節都督(しじせつととく)倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓7国諸軍事安東大将軍倭国王と称す。順帝の昇明二年、使を遣わして上表して曰く、「封国(自分の国)は偏遠にして、藩を外に作(な)す。昔より祖禰(そでい/父祖or祖父)自ら甲冑を擐(つらぬ)き、山川を跋渉(ばっしょう)して寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人(もうじん/関東人)を征すること五十五国、西は衆夷(しゅうい)を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国……」と。

倭王武は昇明2年(478年)、高句麗による百済の首都陥落後、宋の順帝に上表した。その結果、「六国諸軍事安東大将軍倭王」の軍事的称号を得た。倭王は百済を含めた7カ国の国王を自称したが、除かれたため、6カ国となった。

 

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