宋代の文化

宋の中央集権化
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宋代の学問・思想

宋学(朱子学)

経典の字句解釈ばかりだった漢~唐にかけての訓詁学を否定し、
代わりに宇宙論や人間論を展開し、同時に知の実践に重んじた新たな儒教学。

北宋の周敦頤(しゅうとんい)は太極図説(たいきょくずせつ)を書き、宇宙論からの、道徳理を求め、宋学の祖となった。弟子の程顥(ていこう)・程頤(ていい)の兄弟にその考えは受け継がれ、やがて南宋の朱熹(しゅき/朱子)によって集大成され、朱子学と称されるようになる。

 

朱子学は理気二元論というすべての森羅万象ありとあらゆる物質の成立原理である「理」と、根本元素である「気」に求めた。性即理というものでは宇宙論が人間に備わった理性(本然の性)が人間の本質であるとした。格物致知と呼ばれる欲望や感情を抑えて「本然の性」を十分に発現させるために、修養を説き、宇宙に存在したものの理を極めつくすことと、その知をを押し極めることと解して、この2つを表裏一体のものとした。要するに自己の心の修養が大事ということ。

また、漢代より儒教の経典とされてきた五経(詩経・書経・易経・春秋・礼記)よりも「大学」「中庸」「論語」「孟子」を高く評価し、これに注釈をつけて四書と称した。それに加えて、春秋から君主の絶対性を説く大義名分論が唱えられた。

朱子学の影響は日本や李氏朝鮮まで及んだ。

陽明学のはじまり

陸九淵(りくきゅうえん)は心即理と呼ばれる人間の心を重視し、心の中に理はあるということを説いた。それに加えてアイデアと実行の統一をはかる主観的唯物論を説いた。この説は後に、王陽明によって発展する。

中華思想(華夷思想)

中国では昔から、周辺の異民族に対して文化的優越感があった。漢族と異民族の区別を明確にし、漢族を華と称し、その国土を中華・中国・中原と呼び、美化するとともに、異民族を夷狄と呼び、蔑視した。朱子学では漢族の優位性を強調する華夷の別が論ざれた。

史学

概略

宋学の影響を受け、大義名分論的道徳観、歴史観がよくみられる。感嘆の語である「嗚呼」がよくはさまれることから嗚呼史といわれる欧陽脩(おうようしゅう)の「新五代史」「新唐書」欧陽脩は正と不正、統一と不統一を基準に書き、春秋を受け、戦国時代から五代末までの通史を編年体で叙述した司馬光の『資治通鑑』は嗚呼史の代表である。司馬光は欧陽脩にも影響されている。資治通鑑に基づいて、朱熹は大義名分論の要目を示した「資治通鑑綱目」を著した。

資治通鑑綱目

三国時代は蜀が正統とし、南北朝時代の正統は無しで、異民族王朝は無視した。以後受け継がれる。

美術・工芸

画院と院体画

画院は宋代に宮廷内で絵画を作るからか最も厚く保護された機関。唐の玄宗のとき設置され、代表作が「桃鳩図」で「風流天子」と称された徽宗のとき最も精力的に活躍するようになった。山水画や花鳥画が発達。徽宗や画院に属する宮廷画家を中心とする院体画は、写実的で装飾的な画風を描いたもの。伝統的な様式を重視した。こうした院体画の画風は北宗画とも言われ、南宋では夏珪(かけい)・馬遠(ばえん)などが現れた。

文人画

絵画の専門家ではない士大夫階級などの文人が水墨で細かく柔軟な線を書いたことを特色としておいる。その画風から南宗画とも呼ばれた。北宋の李公麟(りこうりん)。米芾(べいふつ)、南宋の牧谿(もっけいなどの画家を生み出した。

宋磁

陶磁器では、殷周時代の灰釉陶器(かいゆうとうき)に端を発する青磁、また白磁などが流行。内面的な色彩美を追求。その技術は高麗朝鮮や江戸期の日本、ベトナム、タイにも影響を与えた。

文学

唐宋八大家

唐代の韓愈・柳宗元と宋代の欧陽脩と王安石、蘇洵(そじゅん)に蘇軾(そしょく/蘇東坡そとうば)・蘇轍(そてつ)・そうきょうをまとめて,そう呼ぶ。孟子の文体を中心とする古文の復興を唱えた人たち。

欧陽脩

欧陽脩は唐代の韓愈・柳宗元を受け継いで、四六駢儷体を廃する古典復帰運動を行った。

蘇軾 (蘇東坡)

天才的な書人でもある詩人。代表作は「赤壁の賦」 (せきへきのふ)。UFOを見たらしい。

庶民の文学

歌曲の歌詞(今風に言うなら人気歌謡曲の歌詞の部分)という俗語を用いたものが唐末以降、庶民の間で流行
唐詩に対して宋詞とも呼ばれ、北宋の柳永(りゅうえい)、南宋の陸游(りくゆう)らが生まれた。

雑劇

簡単な台本の演劇。庶民の間で流行。後世でも金の院本、元の元曲に受け継がれて発展した。

宗教

仏教

仏教は後周の世宗の排仏で大ダメージを受けたが、宋代の徽宗を除く皇帝から厚い保護を受けて回復した。しかし継承に過ぎず、発展はしなかった。『宋高僧伝』『僧史略』『仏祖統紀』など仏教史が編纂された。

禅宗

多くの宗派が存在したが、士大夫階級の間では、一時的に若干衰退していた天台宗が蘇り、雲門宗や臨済宗が盛んになるなど実践的な禅宗系の宗教が最も繁栄した。儒学官僚が仏教に接触する機会が多くなり、宋学の陸九淵らにも大きく影響した。

浄土宗

一般庶民の間では、浄土宗が流行して、阿弥陀仏信仰が盛んになった。阿弥陀仏信仰とは念仏を唱えて阿弥陀仏にすがれば極楽に行けるとする宗派で、念仏結社が各地に作られた。

宋代は他宗研修がみられ、禅浄一致などが唱えられた。

非公認仏教

白蓮教と白雲宗が国家が認めない宗教として、「喫菜事魔」 (きっさいじま)というレッテルを貼られ、邪教とされ弾圧された。方臘の乱もまたそれ同じ。

科学技術

印刷術

木版印刷術

隋か唐の時代に始まり、仏典や辞書、歴書が印刷された。宋の時代にかけて、儒学書も印刷された。また、宋の時代の文治政治のおかげで木版印刷の普及が進んだ。

活版印刷術

北宋の「夢渓筆談」(むけいひつだん)によれば、11世紀半ばには、活版印刷術は発明されたらしい、但し、実用化はしなかった。

火薬

唐代には発明されていたが、宋代に改良が加えられた。11世紀半ばに曾公亮(そうこうりょう)によって編集された「武経総要」(ぶけいそうよう)にくわしく書かれている。12世紀後半南下する金軍に対して南宋が用いたのが初めの戦とされ、13世紀にはイスラーム世界を通じて、ヨーロッパに伝わった。

羅針盤

磁石が北を向く性質については、ある程度言われていたが、「夢渓筆談」によると若干のズレがあることまで指摘されている。

実際に羅針盤として実用化されたのは、北宋末の11世紀末から12世紀にかけて。イスラーム世界を通じて、ヨーロッパ世界にもたらされた。14世紀のイタリアでもっと精度の高い羅針盤がに改良された。

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