イスラーム世界の成立

イスラーム帝国の形成と発展と分裂
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正統カリフ時代

正統カリフとは

ムハンマドが亡くなると、選挙によってムハンマドの義父、アブー・バクルがカリフ(後継者)に選ばれた。以後4代に渡って、イスラーム教徒の選挙で選ばれたため、正統なカリフと呼ばれた。

聖戦(ジ・ハード)

イスラーム教徒の異教徒に対する戦いをそうよぶ。以後ムスリム(身体を神に捧げたもの,イスラーム教徒)はジ・ハードを異教徒に対して仕掛ける。

軍営都市(ミスル)

イスラーム世界の成立期・発展期にアラブ人イスラーム教徒が家族を伴って移り、建設した軍営都市。

第2代正統カリフ・ウマル

第2代カリフはジハードを実施。ビザンツ帝国からシリアとパレスチナとエジプトを奪う。

ニハーヴァンドの戦い

627年にササン朝はビザンツ帝国のヘラクレイオス1世に大敗して勢いを失っていたが、さらに642年アラブ軍はササン朝を打ち破り、ササン朝の滅亡のきっかけを作る。そして651年、ササン朝は滅亡する。

第3代正統カリフ・ウスマーン

イスラーム教の経典であるコーラン(クルアーン)が完成する。

第4代正統カリフ・アリー

シリア総督ムアーウィヤとの抗争中の最中、イスラーム戒律に厳格な最初の分派・ハワーリジュ派によって暗殺される。

ウマイヤ朝の成立

シリア総督のムアーウィヤはアリーが死んだあと、カリフになりシリアのダマスクスを都にウマイヤ朝を開く。以後カリフは世襲制となる。

話は変わるが、貨幣経済が発展。ディーナール金貨やディルハム銀貨が発行された。

また、ムハンマドが昇天したとされるイェルサレムでの場所に岩のドームが建設された。

第5代カリフ・アブド・アルマリク

※ムアーウィヤから数える

アラビア語が公用語に

第6代カリフ・ワリード1世

711年、ヨーロッパ西端のイベリア半島にあった西ゴート王国を滅ぼした。この時からグラナダ陥落までのおよそ800年間イスラームに支配されることとなる。そこでは高度なアラブイスラーム文化が形成された。

ヨーロッパ・アフリカ・中東

トゥール・ポワティエ間の戦い

732年、ウマイヤ軍はこの戦いで、フランク王国のカール・マルテルに大敗。キリスト教が守られてしまった原因の1つ。東はビザンツ帝国を倒せなかったのもある。

アラブ人の帝国

ウマイヤ朝はアラブ人が特権階級を占めていたためそう呼ばれる。

啓典の民

聖書をもつキリスト教徒やユダヤ教徒に対するイスラーム世界からみた俗称。

マワーリーと差別

非アラブ人のクルド人やペルシア人などはイスラーム教徒に改宗したものはマワーリーと呼ばれて差別された。そうした中で、非アラブ人たちは土地に対する税金であるハラージュと人に対する税金でアラブ人は免除されるジズヤを納めなくてはならなくなった。ジズヤは始めは啓典の民だけだったが、すべての異教徒に対して課せられるように成った。その代わり非アラブ人たちはジンミーとも呼ばれアラブによって庇護された。

シーア派とスンナ派

シーア派

アリーとその血縁を持つ者しかカリフとして認めなかった。

カルバラーの悲劇

アリーの血を引くフサインはウマイヤ家に反旗を翻したが、カルバラーの戦いで協力者とともに虐殺された。

イマーム

シーア派の最高指導者への称号。

スンナ派

代々のカリフを正統として認めた。

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