大陸文化の受容と信仰

古墳時代
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渡来人による新技術伝来

古墳時代の中期には朝鮮半島からの渡来人によって、大陸から鉄器の生産、須恵器の生産、機織り、土木技術などの種々の技術がもたらされた。

応神天皇と渡来人

秦氏の祖 弓月君

秦(はた)氏は養蚕・機織りを伝えた渡来人である弓月君(ゆづきのきみ)を祖に持つ。

東漢氏・漢氏の祖 阿知使主

東漢(やまとのあや)氏・漢(あや)氏は応神天皇の時代に来訪し文筆の技術をもとに史部(ふひとべ)に貢献した阿知使主(あちのおみ)を祖にもつ。

西文氏の祖 王仁氏

西文氏(かわちのふみうじ)は論語や千字文など儒教の経典を倭国にもたらした王仁(わに)氏を祖にもつ。

百済から宗教等の伝来

儒教

6世紀には百済から渡来した五経博士・段楊爾(たんように)により、日本に儒教が本格的に伝えられた。百済は日本と同盟関係でもあるとともに中国とも同盟関係だったためである。

医・易・暦

百済からそれぞれの博士が伝来。

仏教

「日本書紀」によると552年(壬申)、『上宮聖徳法王帝説』・『元興寺縁起』(がんごうじえんぎ)によると538年(戊午)に百済の聖明王から日本の欽明天皇(きんめいてんのう)に仏像・経典などを公伝した。仏教の伝来は538年という説が有力である。日本にもたらされた仏教は北方系の大乗仏教。

朝廷の編纂

6世紀半ばごろには、大王の名・続柄(つづきがら)・宮の所在・妃と子の名前・陵(みささぎ)の所在等をまとめた大王の系譜である帝紀や朝廷に伝えられた説話伝承をまとめた旧辞もつくられた。

土器・陶器

須恵器

朝鮮半島から伝えられた灰色の硬質陶器。須恵器(すえき)はかつて、祝部式土器(いわいべー)とも呼ばれ、大陸伝来の窯法で焼かれたねずみ色の陶質土器。盤・高杯(たかつき)・坩(つぼ)などがあり、その製造には渡来人が従事したと思われ、陶部(すえべ)が作った。

土師器

弥生時代の土器を系譜にもつ赤褐色の土器。土師器(どしき)は弥生式土器の流れを汲むもので、壺・甕(かめ)・高杯などがあり、埴輪と同じく、土師器が製造にあたった。

豪族の生活

三ツ寺Ⅰ遺跡

群馬県高崎市にある豪族居館の遺跡。この居館は周りに幅30~40mの大規模な周濠をめぐらしており、それには古墳のように葺石が巡らされている。

祭祀

豊作を神に祈る祈年祭(としごいのまつり)と収穫を神に感謝する新嘗祭(にいなめのまつり)。高い樹木や巨大な岩、孤島、川の淵などを神の降臨するところとして祭祀の対象としていた。また、井戸や水辺でも水に関わる祭りが行われていた。川や海に入り、禊(みそぎ)と呼ばれる心身をすすぎ綺麗に洗い清め、祓(はらえ)と呼ばれる神具や唱え言葉によってきよめた。これらは人間の罪や穢(けがれ)を除く儀礼であった。

占い

太占

太占(ふとまに)は、鹿の骨を焼いて吉凶を占うこと。

盟神探湯

盟神探湯(くかたゆ/くかたち)は煮えたぎった湯に手を入れさせてそれが火傷するか否かで真偽を判断する儀式。

『日本書紀』によれば、允恭天皇のとき、姓名を偽るものが多く、これを行ったという。この儀式は、容疑者の手がただれでば、不正と判断した。
非科学的の裁判のようにも見えるが、発汗作用とその他の心理状態によって影響状態を受けるからまったく根拠が無いわけではない。

盟神探湯

宗像大社

福岡県沖の玄界灘の孤島の沖ノ島には、現在も宗像大社(むなかたたいしゃ)の沖津宮があり、4世紀後半から8~9世紀に渡る豪華絢爛な物品が大量に出土。『海の正倉院』とも呼ばれた。

大神神社

奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)は三輪山を神体としており、現在も拝殿のみで本殿はない。

自然神や氏の祖先神を祀るためにつくられた社(やしろ)が作られた。

伊勢神宮

大王家の祖先神を祀るために三重県に神明造(じんめいつくり)の伊勢神宮が作られていた。

出雲大社

国譲り神話に登場する大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀った大社造の島根県の出雲大社(いずもたいしゃ/いずものおおやしろ)が作られていた。

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