白村江の戦い

飛鳥時代
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百済の滅亡と再興への野望

百済の滅亡

朝鮮半島では、655年高句麗と百済が組んで、新羅を攻撃した。そこで新羅は唐に助けを求め、唐の高宗は660年、最初に百済に出兵し、その都扶余(ふよ)を陥落させ、義慈王は降伏した。ここに百済は滅亡した。

 倭国の百済救援

百済の王族であった鬼室福信(きしつふくしん)は、日本に対して救援と日本に滞在中の王子である豊璋の返還を求めた。そのころ日本では皇極天皇が重祚(ちょうそ/元天皇が再び即位すること)して斉明天皇( さいめいてんのう )となっていたころ、百済を復活させて、朝鮮での倭国の勢力を維持するために百済大救援軍を派遣した。

 

 

661年、中大兄皇子は斉明天皇ともに筑紫に出征。その後、斉明天皇が死去。そのまま称制(しょうせい/天皇空位のままで、皇太子が天皇に即位しないこと)中大兄皇子が戦争を指揮した。662年、大軍を渡海させたが、663年に錦江河口の白村江で行われた白村江の戦い(はくすきのえ/はくそんこうのたたかい)で唐・新羅連合軍に大敗を喫した。

倭国の防衛

この敗北に対する様々な防衛対策が練られます。

 

甲子の宣(かっしのせん)

  • 冠位19階制→冠位26階
  • 豪族を大氏・小氏・伴造に再編
  • 民部・家部(やかべ)の領有民の確認

→豪族との関係を深めた。
→豪族に領有民を認め、事実上の公地公民制の崩壊

国土の防衛

  • 対馬・壱岐や北九州北部に防人(さきもり)や烽(とびひ)を置いた。
  • 筑紫の太宰府の西方に水城(みずき)を築城。

朝鮮式山城(やまじろ)の築城

665年ごろから北九州~大和までの間に城を築いた。以下文献に出てくる城一覧。

  • 大野城(おおのじょう)…太宰府の北方に設置
  • 椽(きい/基肄)城…太宰府の南方に設置
  • 長門城(ながとじょう)…山口県に設置
  • 高安城(たかやすじょう)…大和(奈良県)に設置
  • 金田城(かねだじょう)…対馬に設置
  • 屋島城(やしまじょう)…讃岐(香川県)に設置

※北九州北部から瀬戸内沿岸にかけて発見されている神籠石は防衛施設として作られたものである。

遷都

都を飛鳥から、海から奥地の防衛に優れた近江の大津宮に遷都した。

 

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