後ウマイヤ朝

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後ウマイヤ朝の成立

アブド・アッラフマーン1世

750年のアッバース朝の建国後、第10代ウマイヤ朝カリフ・ヒシャームの孫のアブド・アッラフマーン1世はアッバース朝によるウマイヤ家の王族が殺害されていたが、それを逃れて名前を変えてパレスチナ→エジプト→モロッコに辿り着いた。アブド・アッラフマーン1世の母親はモロッコ出身で、歓迎されたようである。アブド・アッラフマーン1世は756年5月15日金曜日早朝、コルドバ市外のガダルギビル川のほとりで、746年からその辺を独裁的に統治していたユースフをムサラの戦いで倒し、現在スペインやポルトガルのあるイベリア半島のコルドバに入城。正午の金曜礼拝に続いて、住民たちからバイア(忠誠の誓い)を受け、ウマイヤ朝は再建された。これを日本では後ウマイヤ朝と呼ぶ。他国ではコルドバのウマイヤ朝という表現が一般的である。

アンダルスの黄金期

アンダルスとは

アンダルスとはイベリア半島のイスラーム化された土地。キリスト教の範囲は入れない。

アブド・アッラフマーン3世

アブド・アッラフマーン3世の統治期は南はファーティマ朝、北はキリスト教よって脅威がもたらされていた。また、アブド・アッラフマーン3世はカリフの称号を用いた。

939年、シマンカスの戦い

レオン国国王ラミーロ2世をアブド・アッラフマーン3世は破られた。しかし、その後。950年から攻勢に転じて、レオン、ナヴァラ、カスティーリャ、バルセロナの各王国はウマイヤ朝に朝貢を義務づけられた。

有力氏族への開城要求

929年から服従された土地のリーダーに城や町の開城を迫った。930年、バダ―ホスは明け渡され、932年にトレドが、940年にはレオン王国の宗主国のサラゴサを併合した。

アンダルスの黄金時代

アブド・アッラフマーン3世の時代は、他のイスラーム世界でこれほど匹敵していないほどの繁栄を享受した。農業、商業、産業、芸術、イスラーム学が栄え、バグダードのアッバース朝とは政治的関係は断絶したが、文化的関係は続いた。かつてのローマ帝国の都市であったコルドバはイスラーム世界で最も繁栄した都市となった。町には50万人の人が住み、幾多のモスクが並んでいた。

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