一揆

一揆

一揆とは「揆を一にする」ということで、要求貫徹運動の意味。

種類

徳政一揆

借金帳消しを求める一揆。

国一揆

国人中心で一国規模で起こった一揆。一国規模でないものは国人一揆と呼ぶ。

一向一揆

一向宗(浄土真宗)の本願寺門徒の農民や土豪の連合体が守護、戦国大名に対して起こした一揆。

土一揆(つちいっき)

上記の中世で頻発した一揆を総称したもの。惣村の人たちが一致団結して目的を貫徹させるための運動。
団結を確認するために、みんなで決意文である起請文(きしょうもん) を書いて、焼いて、残った灰を村の神社の水に浮かべて、
それを飲む儀式を一味神水と呼ぶ。この全員が一致団結した状態を一味同心という。
一揆のメンバーは皆平等であることを示す、傘連判状(からかされんぱんじょう)を作成した。それには円状に名前を連判した。
摘発された時に、誰が首謀者かわかりにくくする効果もあった。

山城の国一揆

応仁の乱が終わってすぐの1485年、山城国南山城盆地を中心に後継者を巡って、なおも戦争を繰り広げていた畠山家の畠山長政と畠山義就は新しい関所の廃止、本所領の回復などを求めた国人により国外追放された。約8年にわたって南山城36人衆と呼ばれる月行事(がちぎょうじ)を主として自治を行った。1493年崩壊。
《大乗院寺社雑事記》が関係資料。

加賀の一向一揆

1488年(長享2年)に、一向一揆がおこり、守護である富樫政親が自殺に追い込まれた。その後、名目上の守護として、富樫泰高が守護のポストに位置づけられて、加賀国は以後約1世紀に渡って、「百姓ノ持チタル国」として自治支配を実現。(百姓にはもちろん漁民も含まれる。)
史料として、「蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)」、「実語記拾遺(じつごきしゅうい)」
1580年、柴田勝家によって平定される。

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