天武天皇の時代

飛鳥時代

天武天皇の時代(673年~686年)

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皇親政治

大海人皇子(おおあまのみこ)は672年に飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらぐう)に遷都し、天武天皇(てんむてんのう)となる。大臣をおかず、皇后(天智天皇皇女の鸕野皇女(うのー)⇒持統天皇(じとうてんのう))・大津皇子・草壁皇子・高市皇子らの皇子や諸王などの皇族を重用することによって、律令体制の早急な完成を目指した。
一方氏族層は律令制の官僚の出身となり、政治体制の下位ランクに降格した。天武朝から律令国家体制成立までの間つづいたこうした政治体制を皇親政治という。

 

政策

官僚制の整備

「政の要は軍事なり」は天武天皇の詔。天武天皇は軍国体制のもと国家組織を再編成。

出身法・勤務評定・昇進制度

豪族や官吏に登用する際などの法律や制度。
→個々の能力と忠誠心を昇進条件とする官僚制がいよいよ編成され始めた。

律令官人化政策

675年、豪族の私有民である部曲(民部とも、かきべ)の廃止。そして、682年の食封(じきふ/へひと)支給制度の改定。
公地公民制の復活。

律令の制定

681年、律令制定着手。
685年、冠位48階制着手。皇子・諸王と諸氏のために冠位を分化することによって、皇臣と諸臣を明確に区分することが可能になった。さらに、すべての支配層を国家の官僚にしようとする意図が天武天皇にはあった。

八色の姓

684年、天武天皇は八色の姓(やくさのかばね)を定め、姓を再編成した。上のランクから順番に、真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)という風になっている。上位4つの姓が上級貴族を輩出する母体の氏族。もともと臣・連の姓をもっていた氏族は有力なものは朝臣・宿禰の姓を賜ったが、落選したものは、第6・第7位に事実上降格させられた。

現人神思想

天武天皇の時代に、天皇の地位が神格化するという風潮が高まる。これを現人神思想(あらひとがみしそう)という。

大伴御行の歌

大伴御行(おおとものみゆき)「大君(おおきみ)は 神にしませば 赤駒の はらばふ田井を 京師(みやこ)となしつつ」

解説

天皇は神だからこそ荒れた原野を都に作り変えることができたんだ

柿本人麻呂の歌

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)「大君は 神にしませば 天雲(あまくも)の 雷(いかずち)の上に いほらせるかも」

持統天皇在位時の歌。

国史編纂事業

681年、国史として「帝紀および上古諸事」の編纂事業が開始される。上古諸事とは旧辞ではないかという説もある。帝紀は皇室の系譜について、旧辞は神話・伝承などを編纂でこれが後の、古事記や日本書紀へとつながっていき、これが元の資料となる。。

富本銭の鋳造

執筆時点では日本最古の貨幣と考えられている富本銭(ふほんせん)の鋳造を天武天皇がはじめた。飛鳥池遺跡(あすかいけいせき)の調査から、鋳造遺物とともに、富本銭が多数出土。

その他、功績

  • 藤原京の造営に着手
  • 薬師寺建立
  • 仏壇を作って仏像を拝むよう命令
  • 伊勢神宮の式年遷宮を決める
  • 全国の神社の修理を命じる。
    →神も仏も同じょうに扱う。日本人の宗教的寛容さの土壌形成。

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