元明天皇と平城京遷都

奈良時代

元明天皇は女帝で平城京遷都時、在位していた天皇。藤原京最後の天皇でもある。(在位707~715)

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元明天皇の即位

天智天皇の娘であり、かつ持統天皇の妹であり、草壁皇子の妻であり、文武天皇の母であった元明天皇(げんめいてんのう)が藤原京で即位。

元明天皇とその政策

和同開珎

708年、和同開珎(わどうかいちん)という官銭が造られた。皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)の最初のお金。
唐の王朝が発行した開元通宝をモデルに鋳造。銀線と銅銭の2種類発行された。鋳造のために鋳銭司(ちゅうせんし/じゅせんし/すぜんし)という令外官(りょうげのかん)を周防国や山背国などに設置。
武蔵国秩父郡から銅が献上されたことで、元号を和銅に改元し、銭貨を鋳造させた。
しかし、古代の日本の人々は貨幣の価値や役割が認識不足で、流通範囲は畿内などの地域でしか使えなかった。

平城京遷都

後述。

蓄銭叙位令

711年、和同開珎が流通しなかったので、蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)を出す。お金を蓄えれば、蓄えた額に応じて位を贈呈。貨幣の流通増加を狙った。蓄銭叙位令は800年まで続く。

『古事記』編纂

712年、歴史書『古事記』(こじき)が完成。神代から推古天皇の頃まで記述されている。天武天皇の命令で、稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習していた『帝紀』や『旧辞』を、元明天皇の命令で太安万侶(おおのやすまろ 安麻呂とも)が筆録したもの。

『風土記』撰上の詔

713年、風土記撰上の詔を元明天皇が出す。風土記には各地の自然や物産、歴史、風俗などが書かれている。出雲国、常陸国、播磨国、肥前国、豊後国だけが現存。なお出雲国風土記は完本である。

平城京

遷都

710年、元明天皇は人口が増え、手狭になった藤原京から、平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう)への遷都を行った。平城京は中国の当時の首都、長安城を手本に手直ししたものである。

構造

平城京は北部中央に宮城(きゅうじょう)をもち、南北に貫く朱雀大路(すざくおおじ)によって、左京・右京に分けられた。東側が左京。西側が右京である。これは天皇の立場から見ての呼び方であろう。朱雀大路の南端には羅城門(らじょうもん)が北端には朱雀門(すざくもん)が設けられている。朱雀門の北が大内裏(だいだいり)という役所である。
平城京は四角ではなく、東側に突出した部分がある。それを外京(げきょう)という。右京の北側にも、はみ出した部分がある。これを北辺(きたべ)という。

条坊制

条坊制(じょうぼうせい)とは町並が碁盤の目のように区画されている町割法。邸宅の位置を~京~条~坊と表示させた。

平城京

「通り」の名前

西端を南北に走る道を西京極(にしのきょうごく)。南端を東西に走る道を南京極(みなみのきょうごく)という。

平城京の左京に置かれた市を東市(ひがしのいち)、右京に置かれた市を西市とよぶ。東西の市司(いちのつかさ)によって管理・監督されたいた。

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