平城京と地方社会

奈良時代

平城京と地方

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交通制度

駅制

駅制(えきせい)は中央と地方を結ぶ交通・通信制度。

官道

官道(かんどう)とは都と七道の諸国に向けて整備された道。

駅家

官道の途中の16kmごとに駅家(うまや/えきか)が設置され、役人が公用に利用した。駅家には一定数の駅場が配置されており、役人は駅鈴(えきれい)を持参することで、使役可能となった。駅家には事務をとる駅戸(えきこ)や収益財源として駅子(えきし)が耕す駅田(えきでん)が設置されていた。その主は駅長とよばれた。

伝路

駅路と離れて郡家などを結ぶ道を伝路(でんろ)と呼ばれる交通道路が網の目のように設置された。

 

関所

三関

  • 鈴鹿関(すずかのせき)・・・東海道の伊勢国に設置された。
  • 不破関(ふわのせき)・・・東山道の美濃国に設置された。
  • 愛発関(あらちのせき)・・・北陸道の越前国に設置されていたが、近江国の逢坂関(おうさかのせき)に変わる

鉱山資源の献上

749年、陸奥国から金が献上された。

対馬国から産出。

武蔵国と周防国、長門国から産出。

近江国・美作国から産出。

水銀

伊勢国から産出。

石油

越後国から産出。

辺境地域の様子

蝦夷征討と出羽国

東北では政府が蝦夷とよんだ地域に積極的に支配に起きに置こうとしにいった。

出羽国

712年、越後国と陸奥国をさいて、出羽国(でわー)を設置した。708年頃に設置された出羽柵(でわのさく)が733年に秋田城として移築された。

隼人征討と大隅国

大伴旅人(おおとものたびと)により、720年に隼人征討を行われた。なお、その前の713年に大隅国を設置している。この征討で種子島や屋久島も朝廷に服属した。

隼人

隼人(はやと)とは薩摩・大隅半島に住む人々。長らく政府に反抗していた。

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