ゲルマン人の大移動の始まり

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ゲルマン人とは

起源

ゲルマン人はバルト海沿岸やユトランド半島の森林や沼沢地(しょうたくち)に住んでいたインド=ヨーロッパ語族の民族。現在のヨーロッパの人種の大多数を占める。

西ヨーロッパにかけて暮らしていたケルト人をゲルマン人が進撃し、カエサルのガリア遠征で征服した後は、ケルト人はブリテン島へ逃避し、ライン川がローマ帝国とゲルマン人との国境となる。

古ゲルマン社会(原始ゲルマン社会)

手がかり

  • カエサルの『ガリア戦記』
  • タキトゥスの『ゲルマニア』
タキトゥスの『ゲルマニア』の一節

「ゲルマーニア人は、公事にせよ、私事にせよ、何事をなすにも、必ず武装しているけれども誰にせよ、共同体によってその資格があり、そうだと認められる時までは、武具を身につけないというのが習慣である。その時が来ると、まさに集会において、指導者の中の誰かが、あるいは家父か、あるいは親戚にある者が、楯とフラメア(槍)とでもって、件の青年を飾るのである。これが彼らの地における元服であり、これが、若者に与えられる最初の誉れなのである。・・・」

タキトゥス『ゲルマニア』13章

国原良之助・編纂『世界古典文学全集 第22巻 タキトゥス』より

ゲルマン人の経済生活

主として牧畜と狩猟より成り立っていたと考えられる。大麦や燕麦などの穀物やエンドウ・カブラなどの野菜も作ってはいたものの、非常に粗雑なもので、あくまでも副次的なものにすぎなかった。

ゲルマン人は定着して小集落も形成していた。全体で50の部族集団(キヴィタス)に分かれていた。このキヴィタスは国家ではなく一種の戦士団である。その社会にも貴族・平民・奴隷の身分階級があり、それぞれのキヴィタスは貴族の中から選ばれた王や首長を頂に置いた。

最高意思決定機関の民会では貴族・平民全員から構成された。政治・軍事・裁判などにかかわる決定が行われた。

従士制

有力貴族は貴族・平民の子弟からなる従士を私兵として数多く抱えていた。両者対等な立場での保護・忠誠関係である。中世ヨーロッパの封建的主従関係の起源として言われている。

ゲルマン人の大移動

移住要因

遊牧民フン人のゲルマン人への圧力

アジア系遊牧民であるフン人は4世紀後半にドン川を越えて侵入して、黒海北岸に定住していた東ゴート人を375年に征服。西ゴート人を圧迫した。

匈奴とフン人

フン人の起源は匈奴という説が有力で、パンノニアに大帝国を築いた民族。匈奴は英語表記で「Hiungnu」。フン人は英語表記で「Huns」やフン人は低い身長で、幅広の顔、細長い目などモンゴロイド系の特徴を持っていた。また言語はアルタイ語族であると伝えられる。アジアの匈奴の墳墓からも、ハンガリーのフン人の墳墓からも多種多様な民族と混血していた。

土地不足

人口増加による土地不足とも言われていたが、フン人の圧迫がもっとも有力な説である。

西ゴート人の移住開始

375年、西ゴート人はフン人をおそれて南下を開始。翌年にはドナウ川を越え、ローマ領内に侵入。中世ヨーロッパの始まりである。

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