米国の日本占領と改革のはじまり

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米国の占領。

アメリカの間接統治のはじまり

GHQ

日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏。
1945年9月2日の降伏文書調印から、1952年4月8日の講和条約発効までの約7年間、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ-SQAP/Genaral Headquarters of Supreme Commander for the Allied Powers/ジー=エイチ=キュー=スキャップ)の間接統治下におかれる。
GHQが正式に発足したのは10月2日。降伏文書調印から1ヶ月しか経っていない。

マッカーサーがもともとアメリカ太平洋陸軍総司令官であったが、日本への攻撃時に連合国軍最高司令官に任命された。そして、戦後、連合国軍最高司令官の総司令部となった。

降伏文書

日本がポツダム宣言を受諾し、誠実に履行すること。大本営と軍隊を無条件降伏させることなどが記されていた。調印には、天皇と政府を代表する形で重光葵(しげみつまもる)が署名し、大本営代表として梅津美治郎(うめづよしじろう)が署名している。

対日基本方針

1945年9月22日付けの「降伏後における米国の初期の対日方針」がアメリカ政府よりマッカーサーに知らされる。さらに1945年11月1日に「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期の基本指令」が与えられた。11月分はより細やかに指示されていた。

極東委員会

対日占領政策決定最高機関として極東委員会(FEC)がおかれていた。極東委員会を構成した国はアメリカ・イギリス・中華民国・ソ連・オーストラリア・オランダ・フランス・インド・カナダ・ニュージーランド・フィリピンの11カ国。のちにビルマとパキスタンが加わり13カ国からなるようになる。このうち米英ソ中には拒否権があった。
極東委員会が対日占領管理機関であり、その下にアメリカ政府があり、アメリカ政府が日本への指令を作成・伝達することになっていた。

極東委員会が機能し始めたのは1946年2月26日。GHQは極東委員会の指図なしに改革を実施することが出来た。また、アメリカはB29による爆撃と2度に渡る原子爆弾により、直接日本を降伏させたので、拒否権だけではなく、中間指令権をもっていたため、極東委員会は大して力を持たなかった。アメリカの単独占領といっても語弊はなかった。

対日理事会

東京に最高司令官の諮問・協議・助言機関として対日理事会(ACJ)が設置されたが、農地改革以外はそこまで大きくは機能しなかった。

アメリカの例外的直接統治

間接統治という名ではあるけれども、アメリカが超法規的権力をもっていた。そのため、アメリカ政府が日本政府が満足した成果が執り行えない場合、日本の人事機構の改変を要求。直接執行する権限をアメリカ政府はマッカーサーに与えていた。1945年9月11日の戦犯容疑者の逮捕、1945年10月4日の人権指令、1946年1月4日の公職追放などは日本側への連絡なしに断行された。

人権指令

人権指令とは共産主義者を含む政治犯の釈放。思想警察の全廃。内相及び警察首脳の罷免(ひめん)。全てのの弾圧法・弾圧規定の撤廃を求めた指令。アメリカ政府は日本側が戦争終了後も政治犯を釈放しなかったので行った。治安維持法違反で投獄されていた京都学派の哲学者の三木清(みききよし)は1945年9月26日になくなっている。

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