林業史①~日本の林業のはじまりと公私共利~

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日本の林業のあけぼの

朝廷による森林利用・管理制度が初出。「山守部(やまもりべ)」が応神天皇の皇室所有林の保護することがはじまり。

森林管理または林産物生産の職制や詳細は不明。

法制度も十七条憲法まで制定された頃で、まだ林政の段階ではなかった。

律令時代の林業

都の造営と大規模社寺の造営

この頃は都の造営や大規模社寺が畿内に造営された。そのため、木材の伐出を朝廷が指揮。
平城京の造営や東大寺大仏殿の造営などで、決定的に木材需要が高まり、畿内は木材が伐採され尽くした結果、禿山が続出するようになった。造営を立て続けに行ったため、山が疲弊しており、寺社勢力は規制的政策を行おうとしたが、田の肥料や燃料が調達できず、農民は困っていた。さらに、それに加えて、畿内では洪水が頻発するようになる。これは皆伐により、土砂災害防止機能や水源涵養機能(ーかんようー)など、森林の多面的機能が損なわれたことによる。

禁伐林

洪水が頻発することを防ぐために、朝廷は禁伐林(きんばつりん)を設けた。禁伐林には用材備林、水源涵養林、風致林などがある。伐採の増大による森林枯渇への対応を行った。

班田制と「公私共利」の考えの確立

班田制の概略

土地は国家(朝廷)の支配下におき、耕地を各戸に分給する制度。

公私共利

公と私が共に利用するという文字のごとく、ごく一般の官が所有する林野でも、農民は天然産物を採取が可能であるという考え。しかし、土地の所有者と土地の利用者の分離あるために、そのあたりは十分に留意する必要がある。ちなみに弥生時代から奈良時代の間に人口が激増し、10万人ほどの人口は700万人へと膨れ上がった。

参考リンク

律令制の消滅と荘園制下の林業

歴史的背景

律令制のおわり

8世紀なかば、律令制が緩み始め、墾田永年私財法により、開墾田の私有化が公的に容認され、土地の私有化が進む。→聖武天皇の時代(墾田永年私財法)

荘園制の隆盛と公私共利

貴族、豪族、地方有力者、寺社仏閣などが、労働者である農民を駆使して、私有地を拡大した。農地や林野も例外ではなく、それらの土地を囲い込んだ。しかし、有力者は田畑や山林での実際の労働者である農民に、有力者の所有する範囲内で公私共利の原則のもと、山林への出入りや山菜やきのこ等、資源の利用も認めた。
この頃は社寺造営用用材の確保や農地開発が盛んに行われていた。

林野私有の禁止令もしばしば発布されたが、守られることはなく、荘園領主の所有地となった。

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