米英戦争~アメリカ合衆国の発展~

アメリカ合衆国の発展

ペリー来航より少し前のお話。今の強いアメリカになってしまわれたのはここらの時代の苦労と強さが源じゃないかなーとか思いつつ綴ります。

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米英戦争

戦前状況

アメリカ合衆国は政治的には独立に成功したが、経済的には工業があまり発達しなかった。

そのため、イギリスに頼らざるを得ない状態が続いていた。

戦争勃発背景

ナポレオンの大陸封鎖に対抗してイギリスが逆封鎖とも言われる海上封鎖を行った。アメリカはフランス側でもなく、イギリス側でもなく、英仏双方と貿易を行っており、利益を享受していた。フランスとの貿易を守っていた中立国のアメリカ合衆国はフランス側との通商活動を妨害されたため、国内に「戦争鷹」とよばれる主戦派が台頭。彼らはイギリスとの戦争を主張し、1812年6月18日議会で宣戦布告が可決。米英戦争(アメリカ=イギリス戦争、第2次独立戦争、1812年~1814年)が勃発した。

経過~米の戦況不利と工業発展~

アメリカではワシントン占領されるなど戦況は不利なことに加え、ヨーロッパ側からの工業製品の輸入が止まり窮地に見えたが、貿易が途絶えることのおかげでアメリカ合衆国の経済的自立が始まり、ニューイングランド地方を中心に木綿工業の進展が見られるなど自国の工業の発展へと繋がる。

結果

1814年、ナポレオン戦争終結に伴い、戦争継続の大義名分がなくなった。このため、12月オランダのガンで平和条約が締結された。しかし、連絡がつかなかった米英両軍はニューオーリンズ郊外で衝突し、のちの第7代大統領となるジャクソンが率いるアメリカ軍に勝利の女神が微笑む。
(因みに自由の女神は独立運動を支援したフランスの自由家団体により独立100周年祝いに1886年完成した像をアメリカに見事プレゼントしている。筆者は米英戦争とのフランスの立場も絡んでいるのではないかと睨んでいる。)

アメリカの国歌「The Star-Spangled banner」

1814年7月13日~14日、ボルティモアのフォートマックヘンリー砦の攻防戦でフランシス・スコット・キー(Francis Scott Key)は捕虜となった親愛なる友人の釈放を求めて、敵軍である英国軍との交渉に臨んだ。そしてその要求は呑み込まれたものの条件がついた。一晩の間、友人を囚えた軍隊の船上で夜を明かすことを。
翌日太陽が昇ってから消えゆくまでの間に行われた愛する母国による敵軍への砲撃。敵軍の砦の惨劇の地に星条旗がたなびいていた。それを見た彼は作詞した。これがアメリカ合衆国国歌の由来である。イギリスのアナクレオンの歌「To Anacreon in Heaven」の旋律に合わせて親しまれ歌われた。
1931年正式なアメリカ国歌として採用された。

モンロー宣言

1823年、モンロー大統領(Monroe/1758~1831/任期1817~1825)が議会で「モンロー教書(=モンロー宣言/Monroe Doctrine)」を提出。

内容

メッテルニヒの軍事干渉への反対の立場を明確にとり、孤立主義政策を提示。ヨーロッパ諸国とアメリカ大陸との間でそれぞれの地域で発生することに関わらない、相互不干渉の立場を強く主張した。

狙い

太平洋を南下しているロシアを牽制するとともに、ヨーロッパ諸国がラテンアメリカ諸国に干渉することに反対して、アメリカの経済的独占を狙ったもの。

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