フランス革命とその原因と背景

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フランス革命の原因

フランス財政の赤字

度重なる外征

七年戦争参戦やアメリカ独立戦争への参戦で、
軍事費がどんどん膨らんでいきます。

その結果、フランス財政収支は悪くなっていきましたね。

アメリカ独立戦争の援助には20億リーブルも費やしてしまいました。

戦争に参戦したものの、見返りになるものがなく、
それもまた、財政が悪くなった原因の1つにもなるのです。

宮廷の浪費

太陽王・ルイ14世が即位してから、王が住む宮廷での浪費が増え、貴族たちへの年金がどんどん増えていき、それらが財政を悪化させた1つの大きな原因にもなっていきます。

マリ・アントワネット

オーストリア出身の王女さん。オーストリア帝国の女帝として君臨したことで知られているマリア・テレジアの娘でルイ16世の妃です。

フランスではブルボン朝の因縁のライバルであったハプスブルク家の人間であったために、フランスの民衆たちからの評判は悪くて、贅沢な生活を送っていると非難されてしまいました。

アンシャン=レジーム(旧体制)

アンシャン=レジームとは?

時代に見合わない封建的伝統的身分制度のことをさします。

第一身分は聖職者、第二身分は貴族が占めています。

彼らの身分には免税特権が与えられます。
つまり、これらの身分階級は特権階級といえますね。

第三身分は
ブルジョワジーと呼ばれる比較的豊かな暮らしを送っている上層市民と、
サンキュロットと呼ばれる短ズボンを履いていない比較的貧しい下層市民や農民階級が占めた。
彼ら第三身分はフランス全人口の98%を占めています。

第三身分の人々はなんの権利もないのに、納税義務だけは課せられていて、不満が募っていきます。

 

「第三身分とは何か」

シェイエス神父が著した本です。
第三身分が「すべて」で唯一「国民」を代表していると書かれています。

シェイエス神父とは

聖職者で、第三身分の代表の神父さん。国民議会の指導者として活躍します。
ナポレオンのクーデタにも参加します。

ちなみにシェイエス神父はギロチン送りにもならず、
革命期を生き延び、「革命のモグラ」というニックネームをつけられます。

免税特権

免税特権とは第一身分、第二身分の納税が免除される特別な権利のことです。
のちのち重要になるので、強調しておきますね。

因みに、特権階級の彼らは免税特権だけではなく、
第三身分に対する徴税権ももっていたのです。

浅間山の噴火による世界的小麦の不作

1783年、日本の浅間山の噴火の影響で、寒冷飢餓が発生します。

この噴火では2万人が死亡しました。
しかし、これは日本だけに影響はとどまりませんでした。

北半球に異常気象をもたらし、
フランス革命の間接的影響であるともいえる、
「小麦の不作」を招いたと言われています。

マリ・アントワネットが言ったかどうか定かではないですが、
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」という台詞は有名ですね。

彼女がいうように、パンよりもケーキのほうが安価ではあったそうなのですが、
小麦がなければ意味ないじゃないという話ではないでしょうか。

ぶどう酒の過剰

ぶどう酒の生産過剰により、流通価格が低下し、ブドウ栽培業者の利益は減少します。
ブドウ栽培業者に価格低下の波が押し寄せ、生活に打撃されます。

英仏通商条約

イギリス工業をフランスの市場を開放するものであります。

当初はフランス工業の刺激になればと始まったものの、
フランス工業へと大打撃を被ることとなりました。

中国思想の影響

イエズス会の宣教師を通じて、中国から朱子学などの合理思想が流入してきます。合理思想の影響で啓蒙思想が成長していったのです。

啓蒙思想はヴォルテールやルソーなどが説いたものではありますが、彼らの思想は中国思想の影響を強く受けています、

財政改革

彼ら三人の改革は全て失敗に終わったのです・・・

テュルゴー

重農主義経済学者。最初に財政改革に失敗します。

ネッケル

スイス生まれの銀行家。免税特権を廃止しようと試みましたが、強い反発にあい、
財政改革に失敗してしまいます。

カロンヌ

1783年、カロンヌが蔵相となりました。彼は名士会を開催して、特権身分への課税を狙いましたが、その狙いは外れ、失敗に終わってしまったのです。

名士会

名士会とは国王の下に置かれた諮問機関のことです。豆知識で覚えておくといいかもです。

三部会と第三身分

三部会とは?

第一身分、第二身分、第三身分、それぞれの議員からなる議会です。
1614年以降開催されていませんでした。

ちなみに、第一身分・第二身分はそれぞれ約300名で、
第三身分は約600名いました。

下記で重要な数字となるので覚えていてください。

1789年5月5日ヴェルサイユ三部会

免税特権に反発した非特権階級の人々は、ルイ16世に三部会の開催を要求します。
王はこれを認めました。

そうしてヴェルサイユ三部会が開催されましたが、
議決方法を巡って、個人別投票か身分別採択かで対立します。

個人別投票にすれば、良心的第一身分・第二身分階級の人の裏切りにより、
第一身分と第二身分派の投票合計<第三身分の身分派の投票合計であるため、
意見が通る可能性が高まります。

身分別採択の場合、2対1で第三身分が必ず負けて、特権身分が必ず勝ってしまいます。

結局、難航してしまいます。

テニスコートの誓い(球戯場の誓い)と憲法制定議会

1789年6月20日、三部会とは別の国民議会を第三身分の議員たちで結成します。
憲法が制定されるまで解散しない!といった宣誓で議場が閉鎖されていたため、
テニスコートでその結成の会は交わされました。
そのため、この国民議会の結成を「テニスコートの誓い(球戯場の誓い)」とよびます。

ついに6月27日、ルイ16世は国民議会を認め、
正式に憲法制定国民議会と改称しました。

7月9日、憲法制定に着手します。

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