阿南市の地域変遷①~概要編~

阿南市
阿南市

阿南市が公開している統計データをもとにそれから伺える考察を書いてみました。位置からはじまり、地名の由来まで書いていきます。

なぜ、阿南市かとえば、本来は実家の美波町が良かったのですが、美波町は役場が…なので、公開しておらず、賢明な阿南市市役所職員の判断で統計データを公開していたため、阿南市で考察するに至りました。というわけで少しよそ者(隣人)が客観的に見た考察も入って行くかもしれません。

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阿南市とは?

位置

徳島県における阿南市の位置

徳島県における阿南市の位置

阿南市は徳島県南部における中心都市として発展。

歴史

新開氏の牛岐城などで知られ、足利氏の平島公方が居たことでも知られる。

人口

人口は7.3万人ほど。

徳島県周辺の都道府県だと愛媛県の宇和島市、香川県の三豊市や観音寺市、和歌山県の田辺市、岡山県の総社市と同レベルの人口規模を誇る。

面積

面積は279.56平方km。これは高知県の宿毛市や鳥取県の倉吉市と同レベルの面積を誇る。

人口密度

人口密度は263人/平方kmほど。これは愛媛県の八幡浜市、高知県の香南市、鳥取県の鳥取市と同じレベル。

阿南市の各地域の位置とその呼称

スライド2

阿南市の各地域とその呼称

上記画像を参考にしてください。

阿南市の各地域の詳細説明

那賀川町

1956年9月30日今津(いまづ)・平島(ひらじま)の2村が合併して町村制施行。
那賀川にちなむ。

平島

古津

平島(ひらじま)の古津(ふるつ)は室町幕府10代将軍・足利義稙(あしかが よしたね)の子孫が平島公方(ーくぼう)と名乗って約250年間居住した地で、那賀地方の政治、経済、文化の中心であった。

中島

自然堤防上に位置する中島(なかじま)は古くから木材の集散地であり、木工業が盛んであった。

羽ノ浦

羽ノ浦(はのうら)の名は明治の町村制施行によるものではあるが、「波のある海岸」といった意味の「端の浦」が転訛したと言われる。

近世以来、現在の国道55号である土佐街道沿いの町として発展。

富岡

阿南市北部を占める市の中心地区。もと那賀郡富岡町(とみおかー)。1958年に橘町と合併して、阿南市となる。戦国時代、守護大名阿波細川氏の家臣・新開氏(しんがいー)が居した牛岐城(うしきー/富岡城)があり、江戸時代初期に阿波九城の1つとして数えられた。

古くから県南部の政治・経済・文化の中心地であり、桑野川下流の富岡港は帆船時代から徳島との交易で栄えた。

長生

八桙神社

八桙神社(やほこじんじゃ)には重要文化財指定されている木造大己貴命立像(ーおおなむちのみこと)立像・藤原時代の男神立像(だんしんりゅうぞう)・紙本墨書二品家政所下文(しほん にほんげまんどころ くだしぶみ)がある。

加茂谷

太竜寺

那賀郡那賀町鷲敷と隣接する阿南市加茂町(かもー)にある太竜寺山(たいりゅうじざん)の山頂付近にある高野山真言宗の寺。四国八十八ヶ所第21番札所。

798年に桓武天皇の勅願により阿波国司・藤原文山が建立。
空海が修行し、豊臣秀吉や阿波藩主蜂須賀氏などから保護された。

1992年にロープウェイが開通。

橘(たちばな)は阿南市南部を占める地区。1955年に橘町と新野町、椿町、福井村が合併して成立する。

古くから橘湾は阿波水軍の根拠地として、風待港として使われていた。

 

阿南市の統合変遷

阿南市の統合変遷

阿南市の統合変遷

  • 1954年  (昭和29年) 3月1日 – 富岡町が大野村、宝田村、長生村、中野島村を編入合併する。
  • 1954年  (昭和29年) 3月31日 – 羽ノ浦町が大野村の下大野 明見を編入する。
  • 1955年  (昭和30年) 1月1日 – 富岡町が加茂谷村、見能林村、桑野町を編入合併する。
  • 1955年  (昭和31年) 3月26日 – 橘町が新野町、福井村、椿町を編入合併する。
  • 1956年  (昭和31年)  9月30日 – 今津村と平島村が合併。那賀川町が誕生する。
  • 1958年(昭和33年)5月1日 – 富岡町橘町が合併、市制施行し阿南市が発足。
  • 2006年(平成18年)3月20日 – 那賀川町羽ノ浦町を編入。
※町村は全て那賀郡である。

参考リンク


日本地名大百科―ランドジャポニカ

 

阿南市役所
平成27年版 阿南市統計書 1 市勢概要  1位置及び面積~25都市計画用途地域の状況.pdf(1MB)

Wikipedia

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