成長の限界と国連人間環境会議
「ローマ・クラブ」による報告書
「人口の増加がつづくと、資源が足りなくなり、
経済成長は100年以内に限界に達する」
とローマ・クラブは1970年代に予測しました。
今は調子が良くて、イケイケドンドンでも、
1970年代になると経済成長がゆるやかになり、
悲観的な話がでてきました。
ローマ・クラブの話は、
突然出てきたわけではありません。
マルサスが「人口の原理」で、
かつて論じていました。
それに、関しては別記事で書きますね。
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1980年代の情報技術革新のおかげで、
この話は影を潜めます。
国連人間環境会議
1972年に、
スウェーデンのストックホルムで開催された、
環境問題に関するはじめての国際会議のことです。
成果
- 人間環境宣言の採択
環境保全や環境の向上に関する、
共通原則のことです。 - 国連環境計画の設立
ナイロビに設置しました。
絶滅危惧種、生物多様性の条約などの
事務局として始動しました。
ブルントラント委員会
正式な名前は「環境と開発に関する世界委員会」です。
ちなみにブルントラントとは委員会を作ったノルウェーの首相の名前です。
「持続可能な開発」の概念(Sustainable Development/SD)が
ここではじめて生まれます。
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地球サミット
1992年にリオデジャネイロで開催された
環境と開発に関することを話しあった
国連環境開発会議が催されました。
当時・12歳だったセヴァン・スズキさんのスピーチ
成果
リオ宣言
環境問題に対する、行動原則のこと。
アジェンダ21
行動計画のこと
アジェンダ21全文(英語)
森林原則声明
気候変動枠組条約
温室効果ガスの排出レベルを抑えることが決まります。
しかし、排出削減量の目標の設定には失敗します。
生物多様性条約
京都議定書
1997年に、京都で開催された
気候変動枠組条約第3回締約国会議
(京都会議・COP3)では、
温室効果ガスの排出削減数値の目標設定に成功しました。
これを京都議定書といいます。
京都議定書はアメリカなどが批准を拒否したために、
全世界的な取り組みが遅れていましたが、
2004年のロシアの批准をきっかけに、
2005年に発効しました。
CO2削減目標
1990年と比較して、
- EU…8%
- アメリカ…7%
- 日本…6%
を2008年から2012年までに削減する努力目標が
設定されました。
なお、発展途上国は削減目標がありませんでした。
京都メカニズム
排出権取引を認めることになりました。
これは目標値を超える排出削減を達成した国は、
目標値以上の削減分を他の国へと売却できるようになりました。
日本の成績
2008年~2012年のCO2排出量は
年平均で90年と比べて1.4%増加してしまいました。
元々日本は省エネが企業・家庭ともに普及していたため、
人口の増加とともに増えてしまいました。
しかし、ここから
森林吸収分と排出権取引によると
8.4%減となって、目標値を達成しています。
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