共同購入事業の発展とその意義
基本的には班という単位で、
そこで約1週間分の荷物を受け取っただけのもの。
事業経営の効率性
以下の面からかつての生協は効率的でした。
予約注文
予約注文ほど確実性のある商売はありません。店というのは在庫がわからないから、在庫が必要です。どんなに売上予測の正確性が増したとしても売れ残りが生じます。必ず売れるということは、仕入れコストを下げることができます。さらに在庫をもたないので在庫にかかる代金が要りません。
配送
組合員のニーズにも適応していた。前提として班があります。班の担い手では主婦層がメインでした。今は主婦層でも運転することが可能ですが、女性はペーパードライバーであることがかつては多かったのです。つまり車の運転があまりできませんでした。
今日では重たいものや買い物難民に向けての配送を行うことが多いです。
店舗が必要ない
固定資本の節約ができるようになりました。
組織・運営の効率性
組合員の参加意識が上がる
ようするに自分は組合員ですよ、自分の店ですよ、という感覚が得やすいです。
今の大学生協でもGI(学生委員会)などの大学生が運営しているという意識を得にくいです。
班の3~10人という単位であるため、話し合いが始まります。
これより多いと発言力が大きい人ばかり話し合います。毎週集まります。
くだらない話もあるかもしれませんが、中には生協での注文した商品への話し合いもあるかもしれません。
重要なのはそういう話し合いの中に、そういう職員が関わることです。
荷物持ってきて終わりという訳ではないのです。
牛乳10本を配ると確認しないといけません。
最初のシステム化されていない段階では職員がはいります。
この間注文したこれは美味しくないだとか、
こういうのが欲しいとかそういうのが組合員の参加意識です。
それを職員が聞くわけです。そしてその話を職員が持ち帰ります。
本部に持ち帰った意見が伝わります。
それが主婦層にフィードバックされる可能性もあります。
そうすると組合員も嬉しく思います。
自分が言ったことが叶うという。
それが参加意識の高まりです。
カタログというのは、単なる商品を載せているだけではなくて、組合員の声なんかも載せているわけです。
上記のような○○さんの声で○○の商品ができました。!!とかも載ります。
これが70~80年代で地域生協が伸びていった例です。
理念と実際の事業が結びつくかといえば、
難しいです。ですが、共同購入はうまくいきました。
関連サイト
●意外と知らない?でも超ビッグ組織!3兆円を生み出す「生協」がベールを脱ぐ!
http://www.tbs.co.jp/gacchiri/archives/20130721/1.html
実際は、軒先に荷物を置くことも多いです。
「班」
班という組織は基本的には協同体ですが、結果的に隣近所で行っているので、共同体という側面もあります。
日本的な特徴です。
上記の項目を理解しておかないと、
班を真似ても上手くいきません。
「日本型生協」への注目
ヨーロッパの生協は落ち込んでいました。
1937年、1966年、1995年に協同組合原則を改定していましたが、
1966年のときに、剰余金の配分を組合員への還元ではなく、
剰余金をストックすることで資本力をつけようとしました。
それによって、合併や連合会がおこり、
結集を図りました。
合併で各支店はチェーン店となりました。
ヨーロッパでは国境を超えて事業連合が起こっていきました。
ヨーロッパではとにかく競争だ!と考えて、自らの特色を失せました。
各国の協同組合の失態
イギリス
大合併を繰り返し、ハイパーマーケットが誕生し、スーパーマーケットストアと遜色なくなり負けていきました。
オランダ
経営が悪化した支店を私的スーパーに売却
西ドイツ
協同組合を廃止して、株式会社化しました。
ICA(国際協同組合同盟)大会
1992年に初めて非欧米圏である日本の東京でICA大会の最後の大会として開かれました。
日本の生協が成功していたために、1995年の協同組合原則改訂の際に、
地域社会が云々~が入ったのは日本の生協から取り入れたものだろうとみられています。
日本生協の停滞
共同購入の停滞
班は専業主婦の集まりでした。はじめの段階では子育て世代やホワイトカラーのサラリーマン層の奥さんの組織でした。
だんだん、上記のような専業主婦層がなくなっていきます。
主婦も介護や子どもが働きに行きます。
共働き家庭が増え、子どもが独立したから引越そうだとか始まります。
組合員が多様化していき、組合員の商品に対するニーズもバラバラに分かれてきました。
だいたいおんなじようなことを考えている人ばかりでしたが、
お年寄りのニーズと子育て世代のニーズでは違いますよね。
3~12人では違う考えの人も増えていきました。
カタログを人によって変えることを
生協は考えました。
カタログは電話帳のような厚さになりました。
組合員からひんしゅくを買いました。
配達も昼下りでも受取人がいないので、
個別配送がどんどん進んでいきます。
井戸端会議もなくなっていきます。
組合員の参加意識もなくなっていきます。
どんどん生協がダメになっていきました。
組合員の意識も変化していきました。
店舗事業の確立
結果的に上手くいきませんでした。
90年台前半からどんどん生協は没落してきました。
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