農村部の助けあい組織
個人がやっているというより、生まれながらやっている。
「協同組合」という名称ではないが、助けあい組織は古くから見られた。
頼母子講
共同体で掛け金を積み立てし、資金を捻出します。そうして資金が必要となった場合、必要な人に貸出していた。そうして借りた人はそれを返済していくシステムがあった。資金的に不規則で地域限定的であった。また、貸出も抽選などで銀行と同制度とは言えない。
無尽
明治時代になると、会社化して金融機関に発展。これが今の第2地銀へとつながる相互銀行へと発展する。
報徳社
二宮尊徳さんが確立した組織。資金の融通システムを「報徳社」として確立。高校野球で有名な報徳学園もその系列。
理念
助けあい(五常)
仁・義・礼・智・信のこと
資金
富者の寄付、加入金、返済の利子は寄付金(割合は適当)
明治初期の協同組合
お茶と生糸は当時、輸出品。品質を安定させないと国力を誇示できない。ただ、まがい物を混入する業者もあり、それを正すために成立。
魚肥などの肥料を共同購入する組織としての購買組合。
消費者組合も「東京共立商社」などロッチデール原則を導入して設立するも数年で瓦解。
産業組合法の成立
地租改正により、封建領主の土地の所有を借りているという形から、土地の私的所有権を認められました。権利を認められたということは、義務が生じます。そうです。地税です。
今までは自給的な生活を行っていましたが、信用のあるお金で税を納めなくてはならなくなりました。簡単には農家が対応できたわけではありません。今のような相場はなく、米を持ち逃げされる人が相次ぎました。コメの相場も農家は読めませんでした。
そんな中、農家は家計が苦しく、土地を売却し、小作農へと没落していったのでした・・・
コメ農家は春に種苗代や肥料費を支払って生産します。そうして秋に収穫して売ります。売上がでるまで、ラグがあります。いきなり、土地だけ所有を認められた状態では支出コストを支払えないのです。そこで借金しないといけません。コメ相場によっては借金を返せなくなるかもしれない農家はどうやって金を借りるかといえば、農地を担保にしてお金を借りるしかありません。金を返せなくなると農家は農地を差し出すのです。そうして農家は小作農にどんどんどんどん没落していきます。当時はそういう世の中でした。それが地主と小作人の関係です。
信用組合法・産業組合法
ドイツの農村の「協同組合」をもとに政府主導で行われる。
高利貸し(サラ金屋)では利子が高いのです。なぜでしょう。農村部では明治期では金融機関が農村部にまでできておらず、悪徳業者から借りるしか方法がありませんでした。農家の中で助けあい組織の形のベースを政府という上から作らせました。
参考
愛媛大学農学部 板橋衛「協同組合論」2016年6月29日
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