アメリカ独立戦争の開始と独立宣言

アメリカ独立革命
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アメリカ独立戦争のはじまり

レキシントン・コンコードの戦い

1775年4月、レキシントンの戦いで、イギリス正規軍と植民との民兵(ミニットマン)が衝突し、独立戦争が始まった。

戦いに備えた植民地人がコンコードに武器や弾薬をを集めていることを知ったイギリス正規軍が兵を派遣したことがきっかけ。武力闘争へと発展していった。

ミニットマンの由来
民兵がすぐに現場に駆けつけたことからMinute manと呼ばれる。

1775年5月、第2回大陸会議がフィラデルフィアで開かれる。ジョージ・ワシントンが植民地軍総司令官に任命された。

ジョージ・ワシントン
アメリカ合衆国初代大統領。フレンチ・インディアン戦争で民兵指揮官として活躍したことから、第2回大陸会議で植民地軍総司令官に任命される。装備の不十分な植民地軍を率いて戦果を上げ、独立戦争を勝利に導いた。1789年、合衆国初代大統領に就任する。

植民地の3派閥

愛国派

独立を支持する愛国派。パトリオット(Patriots)とも呼ばれた。自衛農民・中小商工業者・一部の大農場主ら植民地人口の3分の1程度に過ぎなかった。

忠誠派・勤王派・国王派

本国に忠誠を誓おうとする忠誠派。ロイヤリスト(Loyalists)とも呼ばれた。高級官吏や大商人・大地主などが多く、植民地人口の1/3をしめた。革命中、約10万人が国外逃亡し、財産を没収させられた。

中立派

和解に期待をよせつつ、まよいつつある中立派。しかし、戦争がすすむにつれ和解の希望が薄くなると独立への意識が強まる。

抵抗への訴え

「自由か死か」演説

パトリック・ヘンリーが自由か死か演説を行い、イギリス本国への抵抗を訴えた。

コモン=センス(常識)

トマス・ペインが著した、君主制の弊害を指摘し、共和制の採用と独立の正当性を単純明快に訴えたパンフレット「コモン=センス」は3ヶ月え12万部という画期的な売れ行きをしめし、独立への気運を高めた。トマス・ペインは独立戦争がはじまると、フランスに渡ったためにアメリカでは裏切り者と呼ばれた。

 

コモン・センス 完全版

独立宣言

1776年7月4日、独立宣言を採択。トマス・ジェファソンが起草し、他の代表が検討を加えたものである。

 

独立宣言では、合衆国が独立する理論的根拠を前段で述べている。

生命・財産および幸福追求の権利という自然権・自然法、社会契約論にたつ政府の役割、人民主権、革命権などは、ロックの政治的思想を強く受けている。

「われわれは次のことが自明の真理であると信ずる。

すべての人は平等に作られ、造化の神によって、一定の譲ることのできない権利が与えられていること。その中には生命、自由、そして幸福の追求が含まれていること。これらの権利を確保するために、人類の間に政府が作られ、その正当な権力は被支配者の同意に基づかねばならないこと。・・・」

 

中段では、ジョージ3世の悪政を20数件の事例を列挙して述べている。

「現在のイギリス王の歴史は度重なる侮辱と権利侵害の歴史である。すべては、わが初秋の上に絶対専制政治を打ち立てることを直接目的としているのである。以上のことを立証するために、公正な世界にむかってあえて事実を提出する。」

 

結論としては植民地がアメリカ合衆国として独立することを宣言している。

メンバー

  • トマス・ジェファソン
  • フランクリン
  • ジョン・アダムズ
  • シャーマン
  • リヴィングストン

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