源義家が去ったあとの奥羽地方では、陸奥の藤原清衡(ふじわらのきよひら)の支配が強大となった。奥羽と出羽の2国に勢力を伸ばした。
藤原清衡、藤原基衡(ふじわらのもとひら)、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)という奥州藤原氏三代によって、約100年間、平泉を中心に奥州藤原文化が開花することになる。
奥州藤原文化
中尊寺金色堂
藤原清衡が建築した代表的な建造物。
毛越寺
藤原基衡が建てた建造物は毛越寺(もえつじ)。
今は跡形も残っておらず、庭しか残っていない。
無量光院
藤原秀衡が建てたもの。
奥州藤原氏100年の2つの理由
東北地方は金の産地であり、良馬の産地であったため。
この2つの産物の富によって摂関家や院と関係をもち、教徒の文化を移入するとともに、北方の地との交流で独自の文化を育てて富強を誇った。
奥州藤原氏の滅亡
四代目の藤原泰衡(ふじわらのやすひら)が源頼朝に滅ぼされ、奥州藤原氏は滅亡した。
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