ECとEUに関しては
を参考にしてください。
1980年代までのECの農業共通政策
第2次世界大戦で国土も荒れたために食料不足に陥りました。
アメリカによる援助(マーシャルプラン)により他給により一時的にしのぎました。
日本とは異なり、
ヨーロッパには自給の精神があるために、
アメリカに頼らず生活しようとなりました。
そこでできたのがECです。
初期段階では、
アメリカにべったりのイギリスの参加は認めませんでした。
域内の70%で穀物生産を行うことを目標としました。
そこで価格支持政策の展開と穀物生産の増加のために行われたのが、
農産物価格支持政策と輸入課徴金制度です。
輸入課徴金
条件がいい土地、たとえば、肥沃な平地などと、
条件が悪い土地、山間部のやせ細った土地などでは、
生産コストが異なります。
条件がいい土地のほうが安く作れてしまいます。
ECの域外から安い農産物が輸入されてしまうと、
域内の条件不利地域の農産物では、域外の農産物に負けてしまいます。
そこでECでは域外から輸入されてしまう農産物に対して、
境界価格を設定します。
境界価格では国際市場価格と境界価格の差額を、
輸入課徴金として国際市場価格に上乗せして輸入します。
境界価格はどう決めたかといえば、
山岳地帯の条件不利地域の自給が100%になるよう設定しました。
フランスなどの平地では条件がよく、
境界価格より生産コストが低かったために、
莫大な利益が稼げ、自給率は200%に達しました。
こうして食料自給を達成しました。
輸出補助金によるダンピング輸出
食料自給率が達成されたために、
食料が余ってしまいました。
ECでは、先程のように、
生産コストと国際市場価格の差額に対して、
輸出補助金をつけました。
これをダンピング輸出といいます。
ダンピングとは採算度外視という意味です。
余っている農産物を他国に押し付けることで、
アフリカなどの国では食料は自給できなくなっていきました。
そこで、
ECは国際貿易の場で、
「関税保護を撤廃しろ!」
と主張しました。
EUの共通農業政策の改革と農村政策
食料戦争
価格政策から所得政策へとうつっていきます。
1980年アメリカとECの食料戦争が勃発します。
お互いに補助金を使って世界の食料市場を席巻していきます。
1986年GATTウルグアイ・ラウンドで関税保護撤廃を
アメリカと組んでECは主張します。
GATTに関しては、
を参考にしてください。
直接支払い
ECからEUに発展した後、
あまりに作りすぎた農産物に対して、
EUは補助金が多すぎて、
体力的にきつくなってきました。
そこでEUでは、
1992年に、
農産物に補助金をつけるのではなく、
農産物生産そのものに補助金をつけることにしました。
作ったモノではなく、
作るコトに補助金をつけました。
これが直接支払いの補助金です。
補助金の上昇に歯止めがつけました。
さらに2005年には、
環境保全型農業が行われた場合や、
土壌を崩壊させないための、
農業を行った場合、
+αの補助金がつけられ、
生産と連動した直接補助金を出さなくなっていきました。
これを生産と切り離した補助金の直接支払いと言います。
作るコトだけではなくて、
良い方法で作るコトに
補助金対象を変えたのです。
こうしてEUは
世界に君臨する食料生産地域へと発展しました。
参考
世界の貿易構造の変化と政府の機能(アメリカとEUの農業政策)
アグリビジネス論2016年11月9日
愛媛大学農学部 板橋衛
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