「紀州みかん」の最古の書物

果樹学

紀州みかん
最初に文章で登場するのは
内大臣・三条西実隆(さんじょうにし さねたか)が記した、
『実隆公記』が現在確認できる最古の記録です。

明治以降に、
温州みかんが広まるまでは、
「小蜜柑(こみかん)」と呼ばれ、
小さくて、種子が多い品種でした。

citrus-kinokuni

 

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実隆公記

 

実隆公記には、

1529年11月30日、
紀伊国(現在の和歌山県)から帰洛した
前左大臣・三条実香(さんじょう さねか)が、
みかん前内大臣・三条西実隆
お土産として贈ったことが
書かれています。

 

この出来事が信頼できる
文章上における
「紀州みかん」初見です。

この頃にはもうすでに、
「紀州みかん」お土産として
定着していたんですね~

 

紀州みかんのはじまり

ある一説によると、
紀州みかん永享年間(えいきょう/1429~1441)の頃に、
有田郡糸我荘中番村(有田市)の中腹に、
自然生育されたことが始まりだそうです。

 

紀州みかんの広まり

その後、文正年間(ぶんしょう/1466~1467)に、
山田原にこの種を植えました。

その後、
大永年間(だいえい/1521~1528)に、
接ぎ木でこの種を近くの郷へと、
栽培面積を増やしていきました。

 

天正年間(てんしょう/1573~1592)には
各地に広まっていったそうです。

 

天正年間の1580年には、
本願寺勢力の当主である、
本願寺顕如(ほんがんじ けんにょ)
織田信長(おだ のぶなが)
「紀州みかん」
5籠贈ったそうです。

 

「紀州蜜柑伝来記」

紀州蜜柑伝来記(きしゅうみかんでんらいき)
江戸時代に書かれた書物です。

それによりますと、
風味は甘さと酸っぱさを兼ね備え、
は黄金色に紅をまじえ、
は天地方円だったそうです。

江戸には、
伊豆・駿河・三河・上総からも
みかんが入っていたようですが、
「紀州みかん」の評判には
かなわなかったそうです。

紀州藩は、
蜜柑方を設置して、
販売を統制しました。

また、
江戸では、
水菓子問屋によって、
取り扱われました。

江戸への出荷は、
数十万籠にものぼったそうです。

それ以外にも、
大坂や京都、名古屋にも
出荷されました。

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