仏教の衰退と大寺院の僧兵による荘園争奪戦

平安時代後期

白河上皇の天下三不如意の中には、
山法師というのが入っていました。

これは延暦寺の僧兵だといいました。

つまり、天台宗の総本山延暦寺でさえ、
僧兵を使ってでも、収入をとりもどさなければならないほど、
仏教的な権威が衰退していたということです。

今回は、主に僧兵についてみていこうと思います。

スポンサーリンク

僧兵とは?

僧兵(そうへい)とは、
平安後期に京都・奈良の大寺院の
雑役に従事する下級の僧侶のことをいいます。

僧兵は多くが地方武士の出身で、
武士と変わらない武力を発揮しました。

強訴

強訴(ごうそ)とは、僧兵の主張を朝廷が通さない場合において、
法皇の仏教への厚い信仰を背景に、
神木(しんぼく)や神輿(しんよ)を先頭に立てて、
要求を通そうとしたもの。

南都・北嶺

興福寺・延暦寺をそれぞれ南都・北嶺(なんと・ほくれい)といいます。

興福寺

興福寺の僧兵を奈良法師といいます。

奈良法師たちは、
春日神社の神木である榊を捧げて、
京都に入って強訴しました。

春日神社は藤原氏の氏神でしたよね?
さらに、興福寺は藤原氏の氏寺。

摂関家でも奈良法師の強訴にはうかつにも触れませんでした。

 

延暦寺

延暦寺の僧兵は、
日吉神社(ひよしじんじゃ)の神輿(しんよ)をかついえ強訴した。
地方に影響力を持つ延暦寺は京都のすぐ近くにあったために、
多大な影響を与えました。

結果

かつて鎮護国家を唱えていた大寺院。

権力者たちは分裂し、
各々が戦う私的な勢力に分かれてしまいました。

これは院政期が、
法によらずに実力で争うという特徴を示している。

さらに、
神仏の威を恐れた貴族たちは大寺院に抗えず、
武士に警護を頼んだために、
武士の政界進出を招くこととなりました。

コメント

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。