エチオピア戦争とイタリア=トルコ戦争~イタリアのアフリカ適当進出~

世界分割と列強対立
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イタリアのアフリカ植民地

イタリアは1880年代に、スエズ運河以来、
戦略的重要性が増していたエリトリアとソマリランドを獲得しました。

エチオピア戦争

エリトリアやソマリランドの獲得に乗じて、
その間に位置するエチオピアも征服し、
エリトリアとソマリランドの接続を試みますが、
イタリアの最新の武器を身に着けたイタリア軍は
騎馬隊がほとんどだと思われていたエチオピア軍に挑みます。

アドワの戦い

実は、チュニジアの一件で、
フランスとイタリアの仲は悪化しており、

ファショダ事件と英仏協商~英仏間の緊張と友好~
ファショダ事件はアフリカ大陸植民地化を競うイギリスの大陸縦断政策とフランスの大陸横断政策がスーダンのファショダで衝突した事件です。 この事件を契機にいったん英仏関係は緊張が走りますが、やがて接近し、英仏協商が結ばれます。

フランスはイタリアへの嫌がらせとして、
エチオピアにあのフランスの最新兵器を供与していました。

その結果、
アドワの戦いでイタリアはエチオピアに敗戦。

イタリアは列強諸国の中で、
唯一アフリカ諸国に敗戦する汚名をかぶりました。

 

イタリア=トルコ戦争

イタリアは列強が、第2次モロッコ事件に

ドイツ植民地帝国とドイツによる二度にわたるモロッコ事件
ドイツはイギリス・フランスの接近に不安を感じていきます。。。 ドイツのアフリカ植民地 1884年に開かれたベルリン会議以降、 カメルーン、東アフリカ(タンガニーカ)、 西南アフリカ(ナミビア)、トーゴランドの 領有権を獲得しました...

忙殺されており、

また、オスマン帝国も、
青年トルコ革命の最中で、混乱している隙を突いて、
オスマン帝国からトリポリ・キレナイカを奪いました。

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