第一次長州征討(征伐)と高杉晋作のクーデター

幕末
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第一次長州征討

長州征討の勅旨

禁門の変で京から追い出された尊王攘夷派に
さらなる追い討ちをかけるために、
「禁門の変の罪を問う」という理由で、
朝廷から長州征討の勅旨を出させました。

そうして長州藩を攻撃しました。

長州藩の降伏

長州藩は四国連合艦隊下関砲撃事件の下関砲撃による惨敗で、
保守派(俗論派)が政権を握っていたため、
長州藩は幕府に戦うこと無く謝罪・恭順しました。

正義派・高杉晋作のクーデター

1865年、
高杉晋作が奇兵隊をはじめとする諸隊を率いて、
下関に挙兵します。

保守派(俗論派)率いる藩兵に打ち勝ちかち、
クーデターに成功します。

再び、高杉晋作・桂小五郎(木戸孝允)・井上聞多(井上馨)・伊藤俊輔(伊藤博文)らの
下級武士が実権を握りました。

これで、長州藩の藩論は、
倒幕に統一されました。

大村益次郎は洋式兵制による軍制改革を行い、
長州藩はイギリスと結ぼうとするようになりました。

コラム:長州藩士の海外渡航

高杉晋作は1862年に上海、
井上馨・伊藤博文は1863年に上海からロンドンに渡り、
開国による欧米化の必要性を痛感していました。

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