薩長連合締結

坂本龍馬が歴史の教科書から消えたとしても、
サイト運営主は歴史用語を増殖させることで、
歴史に少しでも興味をもってもらえれば、
と考えています。

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薩長連合の締結

薩長連合締結の背景

長州藩の背景

長州藩の軍備強化を背景に、
幕府から第1次長州征討の戦後処理として、
領地削減などを求められてもこれに応じませんでした。

長州藩はまたまた
幕府に反抗する姿勢をみせるようになりました。

長州藩は外国に負けたことで、
外国の強さを自ら体感していました。

四国連合艦隊下関砲撃事件
孝明天皇は和宮親子内親王の結婚を許す代わりに、 攘夷の断行を要求しました。 詳しくは をご覧ください。 1863...

第1次長州征討と奇兵隊
第一次長州征討 長州征討の勅旨 禁門の変で京から追い出された尊王攘夷派に さらなる追い討ちをかけるために、 「禁門の変の罪を問う」と...

薩摩藩の背景

薩摩藩は生麦事件から薩英戦争にいたる一連の流れで、
イギリスとの戦争を通じて、
武力による攘夷の困難さを
自ら思い知らされました。

生麦事件
開国による武士の暮らし ハイパーインフレ 金の品質が粗悪な万延小判の流通により、 小判の価値が下がりました。 小判の価値が下がっ...
薩英戦争
生麦事件 島津久光の大名行列を横切ったイギリス人が殺される事件が 1862年、横浜の生麦村で発生していました。 イギリス代理公...

イギリス公使・パークスによる雄藩連合政権への期待

1864年からイギリスの対日政策は
少々変わることとなります。

1865年、オールコックに変わって、
パークス(Harry Parks/1828~1885)が
イギリス公使に着任します。

イギリスは薩摩・長州と手を結び、
貿易を行うことで、武器を輸出し、
軍事行動を伴わないで
新しい政権ができることを
希望するようになりました。

薩長連合の締結

薩摩藩の実権

1865年から薩摩藩では、
西郷隆盛(さいごうたかもり)大久保利通(おおくぼとしみち)らが
藩の実権を握りました。

藩論は開国・武力倒幕に統一されました。

長州藩の実権

長州藩では、
高杉晋作らが藩政を握りました。

同じく開国・武力倒幕に向かって進みました。

長州再征に向けての幕府の対外政策

幕府は長州藩に武器を売らないよう
諸外国に要請しました。

これを受けて諸外国は、
長州藩に武器を売ることを控えました。

薩長への坂本龍馬の説得

土佐藩の坂本龍馬と中岡慎太郎は、
八月十八日の政変以来の薩長のわだかまりを捨て、
両藩を連合させるための説得を試みました。

幕府倒幕の密約(薩長連合の成立)

1866年1月、
大坂で薩摩藩の小松帯刀(こまつたてわき)・西郷隆盛、
長州藩の木戸孝允の間で討幕の密約が交わされた。

これを薩長連合といいます。

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