フランス革命①はじまり~バスティーユ事件と大恐怖~

フランス革命とナポレオン

前回

フランス革命とその原因と背景
フランス革命の原因は、フランス財政の赤字と浅間山の噴火による世界的小麦の不作が主な原因です。フランス財政の赤字は、度重なる外征と宮廷の浪費が原因でした。優柔不断なルイ16世もなんとかしようとしますが・・・。

において、フランス革命の原因と背景についてお伝えしました。
今回は、いよいよフランス革命の本丸についてお伝えします。

 

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バスティーユ牢獄襲撃事件

 

バスティーユ牢獄とは?

14世紀に建てられた城塞です。

17世紀から監獄として使われ始めました。
投獄される人は、貴族やブルジョワが多く、かなり快適な生活を送っていました。

囚人の数も少なく、経費削減から財務長官ネッケルにより取り壊しが決定され、
落札者も決まっていました。

バスティーユ牢獄が襲撃された理由

バスティーユ牢獄襲撃事件は

  • 国民議会に対する圧迫
  • ネッケルの罷免

が原因です。

これはフランス国王・ルイ16世の側近が、
国王に強硬な態度を示そうとした結果、
国民に人気のあった財務長官ネッケルをクビにし、
ヴェルサイユに軍隊を集結させたところ、
軍隊に威嚇されたと感じた市民の騒ぎが過熱したところが原因です。

バレ=ロワイヤル

もともとはオルレアン家の宮殿と庭園でした。
庭園を囲む回廊が庭園として売却されたことで、
パリの中心的な盛り場となりました。

バスティーユ牢獄襲撃事件

バレ=ロワイヤルで武装を呼びかけていたところ
1789年7月12日、デモは武器製造所の略奪や入市税関署の放火などの
騒乱に代わり、秩序維持のために都市市民が編成されました。

1789年7月14日に廃兵院で武器を奪い、
武器と弾薬があると噂された
バスティーユ牢獄(監獄)を襲撃しました。

 

牢獄が占領された後、
革命最初の虐殺が行われました。

パスティーユ牢獄司令官やパリ市長らが犠牲となりました。

バスティーユ牢獄事件の意義

囚人は7人解放した程度でしたが、
革命に民衆が介入したという
象徴的意味や政治的影響力は大きいものとなりました。

「大恐怖(グラン・プール)」の発生

バスティーユ牢獄事件の後、事件は地方にも波及しました。

各都市で新しい自治体と民兵が組織されました。

農村ではこれを「貴族の陰謀」とまことしやかに囁かれ、
恐怖心を煽られた農民たちは自衛し、領主の館を襲撃します。

領主の館の土地台帳や古文書を焼き捨てたり、
また買い占め商人や高利貸しなどを襲うなどの騒動が頻発しました。

これらの激しい一揆を大恐怖(グラン・プール)といいます。

封建的特権の廃止

革命の全国的余波を抑えるために、
1789年8月4日、国民議会は封建的特権の廃止を可決します。

中世ヨーロッパにおいての封建制(封建社会)の成立
ヨーロッパ中世は通常、 封建社会や封建制(feudalism/ヒューダリズム)の時代と言われます。 封建制とは、古代中国の周王朝に由来する言葉ですが、 ヨーロッパの封建制とは異なります。 では、ヨーロッパの封建制とは一体...

租税上の特権や、領主裁判権、
教会の十分の一税、官職売買などを廃止しました。

なお、地代は有償廃止でした。

当時の国民議会

国民議会指導部には、
アメリカ独立戦争に参加した、
ラ=ファイエットや、
国王と内通していたミラボー、
第三身分代表のバルナーヴが主導権を握っていました。

フランス革命リスト

 

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