フランスの帝国主義政策と2つの事件~ブーランジェ事件・ドレフュス事件~

帝国主義と列強の展開

フランスでは、重化学工業の発達が遅れ、
国内での有利な投資先が少なかったために、
金融業と海外投資を中心に銀行の資本力を武器とした帝国主義政策がとられました。

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第三共和政のフランス

1875年、第三共和政憲法が成立します。

その後、共和派が議会の多数派を形成するようになりました。

また、第三共和政がフランス革命の正当な後継として認められるようになりました。

女神の姿に象徴化されてそびえ立つ共和国は自由・労働・公正・平和の女神たちを従えている

第三共和政の改革

軍部と共和派の対立がおこる2大事件

ブーランジェ事件

ブーランジェ将軍が対独強硬を宣伝して大衆の支持を得ますが、
クーデターに失敗するという事件。

プロイセン=フランス戦争の敗北的講和以降、
国民の間でくすぶっていた対独復讐心や
前々からの不況の不満が重なって、
元陸軍大臣ブーランジェ将軍を中心に
左右の急進勢力による反議会主義・反体制の大衆運動が盛り上がったのでした。

ドレフュス事件

ユダヤ系のドレフュス大尉が、偽造文書や反ユダヤ主義にあおられた民衆のために、
ドイツのスパイだとの判決が出て、終身刑になってしまった事件。

自然主義作家・ゾラの公開質問状寄稿

ゾラは新聞に「私は告発する」の公開質問状を発表し、軍部の不正を告発すると、
冤罪事件を主張する知識人・学生・共和派の政治家が終結しました。

シオニズム運動へ発展

ユダヤ系ジャーナリストのヘルツェルは、
「パレスチナにユダヤ人国家を建設しよう」
というシオニズム運動をはじめました。

社会党の政治

1901年に結成された急進社会党を中心に議会政治が確立しました。

サンディカリズム
1895年成立した
労働総同盟は、議会政治を否定し、労働組合による革命を主張しました。
これをサンディカリズムといい、フランス社会党とは相容れませんでした。

政教分離法

1905年、宗教に対する国家の援助を一切排除する法律を制定。

この法律により、宗教はあくまでプライベートな事柄となり、
聖職者の政治活動は禁止され、政治的安定をみせた。

19世紀末~20世紀初のフランス外交

植民地拡大政策

ビスマルクの巧妙な対仏包囲網のために、
ヨーロッパでの活動を狭められてしまいました。

そこで、1880年代から植民地拡大政策をとり、

  • インドシナ
  • アフリカ

に広大な植民地を獲得しました。

露仏同盟

ドイツ帝国でヴィルヘルム2世が即位すると、
フランスを巡る国際情勢は大きく変化します。

ドイツ植民地帝国とドイツによる二度にわたるモロッコ事件
ドイツはイギリス・フランスの接近に不安を感じていきます。。。 ドイツのアフリカ植民地 1884年に開かれたベルリン会議以降、 カメルーン、東アフリカ(タンガニーカ)、 西南アフリカ(ナミビア)、トーゴランドの 領有権を獲得しました...

露仏同盟を結んで国際的孤立を脱します。

英仏協商

イギリスとは、北アフリカ・北米・タイなどでの利害を調整し、
1904年、日露戦争後の国際情勢に対処するために英仏協商を結びました。

ファショダ事件と英仏協商~英仏間の緊張と友好~
フランスのアフリカ植民地政策 フランスは ジブチ・サハラ砂漠・マダガスカルを結ぶアフリカ横断政策をとっていました。 ということで、 イギリスのエジプトからケープ植民地を結ぶアフリカ縦断政策と衝突しました。 アルジェリア 18...

 

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