フランス革命④ヴァレンヌ逃亡事件の理由とピルニッツ宣言

フランス革命とナポレオン

前回、ヴェルサイユ行進で、国王一家をパリに連れ帰りましたが、
今回は、また、逃亡する国王一家をまた、パリに連れ帰りました。

フランス革命③ヴェルサイユ行進と国民議会の諸改革
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ヴァレンヌ逃亡事件

ヴァレンヌ逃亡事件の理由→ミラボーの死去

1791年宮廷と議会の朝廷に活躍していた穏健派のミラボーが病死します。

ミラボーの遺体
ミラボーは、宮廷と内通しており、議会の情報を国王に流していました。
そのことが議会にも死後発覚し、ミラボーの遺体はセーヌ川に投げ込まれました。

ルイ16世の命綱であったミラボーの死によって、
フランス国王は国外への亡命を試みるのです。

ヴァレンヌ逃亡事件

革命の急進化に不安を持ったルイ16世とその家族は、
マリ・アントワネットの母、マリア・テレジアの誘いのもと
6月20日パリを脱出し王妃マリ=アントワネットの母国オーストリアへの亡命をはかりました。

しかし、国境近くのヴァレンヌでこの逃亡は発覚し、
国王一家は捕らえられ、パリに連れ戻されました。

この事件をヴァレンヌ逃亡事件といいます。

「国王一家はこの国を捨てたんだ、もはやもう、この国に王権など必要ない」

民衆は国王への不信感を募らせました。

ピルニッツ宣言

1791年8月27日に、
オーストリア皇帝レオポルド2世と
プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が出した
共同宣言。

 

ピルニッツの由来
オーストリアのドレスデン近くの
ピルニッツ宮殿で出されたためにこの名前になりました。

ピルニッツ宮殿

この騒動が革命に進展しないように、
フランスを脅した内容。

ただし、この宣言は、強い意志表示ではなく、
外交辞令程度のものだったと言われています。

マリ・アントワネットの実兄、
レオポルド2世が救いの手を差し伸べたものの、

他国の圧力によって、
フランス国民は団結し、
革命への決意をより強固にしてしまいます。

フランス革命リスト

  1. フランス革命とその原因と背景
  2. フランス革命①はじまり~バスティーユ事件と大恐怖~
  3. フランス革命②~ラ=ファイエットら起草の人権宣言~
  4. フランス革命③ヴェルサイユ行進と国民議会の諸改革
  5. フランス革命④ヴァレンヌ逃亡事件の理由とピルニッツ宣言
  6. 以降続く

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