フランス革命⑧~山岳派の独裁と恐怖政治~

フランス革命とナポレオン

前回、国王は処刑されました。

フランス革命⑦国民公会とルイ16世の処刑と第1回対仏大同盟
前回、 でフランス国王ルイ16世は幽閉され、 王権は停止しました。 そのような混乱の中、 フランスは一体どこへ向かうのでしょうか。 国民公会の成立 1792年8月末から9月初めに実施した男性普通選挙により...

しかしながら諸問題は解決されず、
民衆の不満は高まっていました。

ジロンド派の政権は、
この危機に対処できていませんでした。

スポンサーリンク

ジロンド派議員の追放とジャコバン派の独裁

1793年6月、
ジャコバン派はパリのサンキュロットの武装兵力に
国民公会を包囲させ、ジロンド派議員を追放し、
独裁権を握りました。

ジロンド派の議員や大臣の多くは逮捕され、処刑されました。

ジャコバン(山岳)派の改革

ジャコバン派内部の
革命指導部山岳派(モンターニュ派)の独裁政権は、
公安委員会(内閣の役割)、
保安委員会(警察の役割)、
革命裁判所も独占しました。

1793年憲法

男性普通選挙制度を定め、
貧しい人々にも政治参加権を与えたましたが、
戦乱により実施されませんでした。

また、封建的特権の無償廃止を決定しました。

封建的特権の無償廃止
農民が小作人から土地所有農民となりました。
1789年の封建的諸特権廃止では、
お金を払って土地所有農民となっていましたが、
今回はタダで土地所有農民になれました。

1793年憲法は、
ジャコバン憲法とも呼ばれ、
革命期の憲法のなかでも、
もっとも民主的な内容をもつものでした。

人民投票で採択が決められました。

憲法の実施の延期
しかしながら、革命権まで保証したこの憲法は、
平和が到来するまで、実施が延期される事となり、
結局、実施されずに終わります。

ジャコバン派・マラーの暗殺事件

1793年7月13日、マラーが暗殺される。

マラーとは?
恐怖政治初期の山岳派リーダー
暗殺したのは、ジロンド派の女性シャルロット・コルデーでした。
シャルロットは25歳の少し陰のある美人でマラーは油断しました。

恐怖政治の組織

マラーの暗殺という危機に対応するために、
公安委員会にロベスピエールが入りました。

 

ロベスピエールが入った公安委員会は権限が強化され、
強力な独裁政治の執行機関となりました。

革命委員会は容疑者のリストを作成しました。

革命委員会
1793年3月に制度化された監視委員会がこの名前で呼ばれるようになったもの。
市町村自治体とパリの各地区で政治警察の任務を帯びました。

 

処刑された人々

マリ・アントワネットが10月に処刑された後に、
ロラン夫人などジロンド派指導者の処刑が続きました。

ロベスピエールの独裁政治

最終的に山岳派の主導権を握ったのは、
ロベスピエールと側近のサン=ジュストでした。

「死の大天使」
サン=ジュストはその美形と冷酷さから
「死の大天使」と呼ばれました。

 

経済を安定させるために
生活必需品や労働賃金の最高価格令が出されました。

古い伝統が否定され、革命暦が制定されました。

非キリスト教運動が展開され、
理性崇拝の宗教も創立されました。

 

フランス革命リスト

コメント

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。