平氏の有力家人・阿波民部大夫重能

平安時代後期
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阿波民部大夫重能とは?

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した阿波の豪族です。

阿波民部大夫重能は平氏方の有力家臣として活躍しました。

 美濃・尾張の源氏方と合戦

「玉葉」治承5年(1181年)2月29日条

 「伝え聞く。尾張之賊徒等少々、美乃国を越え
来たり。阿波民部重良之徒党を射散らす。相
互に疵を被るの者、数有り」

こう伝え聞いている。
尾張の賊軍は美濃国を超えてやってきた 。
阿波民部大夫重良の軍を蹴散らした。
相互に死者多数。

伊予・河野氏との合戦

『吾妻鏡』養和元年(1181)9月27日条

「民部大夫成良、平家の使として、伊豫国に乱
入す。しかるに河野四郎以下在庁等異心有
るに依って、合戦に及ぶ」

阿波民部大夫成良は平家の使いとして、伊予国に侵入します。
そういうわけで河野四郎以下の在庁官人等に異心があるとして、
合戦に及びました。

『平家物語』巻第11の「勝浦」
「阿波民部大夫重能が嫡子田内左衛門教能は、
河野四郎召せども参らぬを攻めんとて、三千余
騎でいよへこえて候」

阿波民部大夫重能の長男、田内教能は、
河野四郎を招聘しても参陣しないのを攻めようと、
約3,000の兵で伊予へこえて行きました。

 

北陸:北陸道における合戦

『歴代皇紀』寿永2(1183)年5月23日条
「阿波民部大夫忠(重ヵ)能、此国に下さる。その
勢二千余騎云々。同6月1日に加賀国篠原邊
において、源氏と合戦す」

阿波民部大夫忠(重?)能、この国に腐る。その軍勢、約2000。
同年6月1日に加賀国篠原あたりにおいて、源氏と合戦します。

阿波民部大夫の本拠

『平家物語』巻第11の「勝浦」
「判官『これ聞き給へ殿原、いくさしにむかふ義経が、かつ浦
につく目出たさよ。此辺に平家のうしろ矢射つべき物はない
か』。『阿波民部重能がおとヽ、桜間の介能遠とて候』。『いざ
さらばけ散らしてとほらん』とて」

「義経「聞いてください殿原さん、戦をしに向かう義経が、勝浦に着くめでたさよ。
ここの辺りに平家の後ろにいて、先手を打つものはいないか?」「阿波民部重能の父、桜間介能遠とというものがおります。」「いざ蹴散らさん。」」

• 阿波民部大夫重能(成良)の弟(一説には伯父)桜間介能遠
→桜間に本拠をおく国衙の任用国司(介)である。
・介:国衙では中央から派遣される国司(守)に次ぐ地位に
ある→阿波国を束ねるような豪族的武士
※阿波民部大夫重能の本拠=徳島市の鮎喰川流域から石井
町にかけての国衙周辺地域。
条里制地割が残り、古代から肥沃で開けていた地域。

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