明治時代の兵制・軍制~理念は「国民皆兵」?~

明治時代

明治時代の兵制・軍制はどんなものだったのでしょうか?
みていきましょう。

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理念

国家を強化するために、これまでの諸藩士を中心とした軍隊にかわって、
徴兵制にによる国民を基礎とした軍隊を作り上げる必要性がありました。

そこで出てきた理念が「国民皆兵」です。
近代日本軍隊の理念です。

兵制・軍制の構想者と実現者

大村益次郎

版籍奉還直後から、大村益次郎(おおむらますじろう)によって、
構想されてきました。

彼は長州藩出身で、第2次長州征伐の際も戦いの構想面で活躍しました。

山県有朋

大村益次郎の暗殺後、山県有朋(やまがたありとも)によって、
兵制・軍制は具現化されました。

山県有朋は、松下村塾で学んだあと、奇兵隊にも参加していました。

廃藩置県によって、藩兵は解散となり、
軍事権も名実ともに諸藩から明治政府のものとなりました。

 

兵部省の設置

国の兵権を、
兵部省(ひょうぶしょう)に集めました。

その後。兵部省は
1873年に陸軍省と海軍省に別れました。

鎮台の設置

また、頻発する反政府活動を抑えるために、
鎮台(ちんだい)も設置します。
全国に4つの常備陸軍組織をおいたものです。

1888年には師団と改められます。

徴兵告諭と血税一揆

1872年に徴兵告諭(ちょうへいこくゆ)を出しました。

「西人之ヲ称シテ血税ト云フ。ソノ生血ヲ以テ国ニ報ズルノ謂ナリ。」

「徴兵告諭」より

ところが、この文章中にある血税という文字が、
国民に相当な不安と誤解をあたえました。

「生き血を税としてとられる」と勘違いした人たちが、
血税一揆(血税騒動)を起こしました。

徴兵令

1873年、徴兵令が出されます。徴兵告諭に基づいて出されました。

満20歳以上の男子を対象とし、
兵役義務は3年としました。

免役規定

国民皆兵を打ち出しながら、免役(めんえき)される条件が広くでていました。

主な免役条項

  1. 身長154.5cm未満の者
  2. 官立学校の生徒OB
  3. 家督相続人
  4. 洋行者(海外留学中の者)
  5. 代人料270円以上の納入者

近代日本軍のモデル

陸軍

はじめはフランス式でしたが、
のちドイツにならいます。

海軍

イギリスにならいました。

「軍人訓戒」「軍人勅諭」

「軍人訓戒」

1878年、「軍人訓戒(ぐんじんくんかい)」がだされます。
竹橋事件をきっかけに出されます。

西周(にしあまね)によって起草されました。

竹橋事件

竹橋事件(たけばしじけん)とは、
西南戦争後の処遇をめぐって
近衛砲兵隊の一部がおこした反乱です。

「軍人勅諭」

1882年、「軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)」が出されます。
近代軍隊は天皇のための軍隊であることを示しました。

これも西周によって起草されました。

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