聖徳寺の会見(織田信長と斎藤道三の同盟確固に)

戦国時代
織田信長と斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)の結婚・夫婦に
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前回、斎藤道三(さいとうどうさん)の娘
帰蝶(きちょう/濃姫/のうひめ)を
織田信長に嫁がせました。

その織田信長がうつけ者だという噂の
真相を確かめるために、
濃尾国境の中立地帯にある
尾張富田の聖徳寺(しょうとくじ)で、
1553年4月に会見をしました。

日本城郭資料館所蔵

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斎藤道三の観察

聖徳寺に先に到着した斎藤道三は、
家臣700~800人を正装の姿で聖徳寺本堂の前に整列させておいて、
自身は町外れの小屋から信長の様子を観察しました。

すると、織田信長一行が通りかかりました。

たしかに噂通り、織田信長は噂通りの
うつけた態度・服装でしたが、
織田信長が連れていたお供のものたちは、
槍兵約500、弓・鉄砲約500という
立派な行列でした。

また、織田信長は聖徳寺につくと、
髪形や服装を正装に改めて、
会見に臨みました。

結果とその後

斎藤道三はこの会見で
織田信長の並々ならぬ力量を見抜きました。

斎藤道三は帰り道で
家臣・猪子兵介(いのこひょうすけ)に
「残念ながら自分の子供たちは皆織田信長の家臣になるだろう」と
語ったという逸話が残っています。

以後、斎藤道三と織田信長の同盟は確かなものとなります。

しかし、斎藤道三は、
義子・斎藤義龍の謀反に遭い、
1556年、生涯を終えます。

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