イギリスの戦時秘密三枚舌外交とその矛盾

第一次世界大戦とロシア革命

イギリスは戦後の同盟国側の領土・植民地の配分を
中立国を味方に引き入れるために、
秘密条約を結んでいます。

今回は、
イギリスの三枚舌外交と、
それがきっかけで引き起こした
現在のパレスチナ問題について
ざっくりとご紹介します。

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ロンドン秘密条約

ロンドン秘密条約は「未回収のイタリア」などの領土譲渡を約束し、
イタリアが連合国側で参戦した条約のことです。

 

「未回収のイタリア」
未回収のイタリアとは、
イタリア王国成立後もイタリア人居住地域にもかかわらず、
オーストリア=ハンガリー帝国に占領されたままの地域。
南チロルやトリエステなどが該当する。

第一次世界大戦後、イタリアが無事回収するにいたる。

1915年5月、
イタリアはオーストリアに宣戦布告しました。

イギリスの三枚舌外交

フセイン・マクマホン協定

フセイン・マクマホン協定とは、
イギリスのエジプトとスーダンの高等弁務官・マクマホンと
メッカのアミール(総督)である
フセインとの間で往復書簡がかわされ、
アラブ人のオスマン帝国からの独立への協力を
約束した協定。

サイクス・ピコ協定

1916年5月、
イギリスは同盟国側で参戦したオスマン帝国領の分割を、
連合国であるフランスとロシアの間で話あって約束した協定。

ロシアはロシア革命の影響で離脱すると、
実質的にフランスとの二国間協定となりました。

フランスはシリア東部などを所望しました。

サイクス・ピコ協定の由来
イギリスの代表者がサイクスSykesで、
フランスの代表者がピコPicotなため、
この名前になったと言われている。

バルフォア宣言

バルフォア宣言は、イギリスがシオニズム
(パレスチナにおけるユダヤ人国家建設運動)を
ユダヤ人のロスチャイルドに支持するとした宣言。

バルフォア宣言の由来
バルフォア宣言は、ロイド・ジョージ内閣で外相を務めた
バルフォアの名前が由来している

結果と矛盾

この結果、アラブ人との約束は、
なかば反故にされ、
フランス領となったシリアからはアラブ人総督を追い出し、
また、パレスチナにおいては、アラブ人とユダヤ人の対立が
現在に至るまで激しくなる根源となってしまいました。

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