キール軍港蜂起と第一次世界大戦の終結

第一次世界大戦とロシア革命
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皇帝の戦い

1918年に行われたドイツ最大の西部戦線への大攻勢のこと。ブレスト・リトフスク条約で、ロシアと休戦したあと、東部戦線の戦力を西部戦線へと向けたが、補給物資の不足のために進撃は止まってしまいました。この戦いを皇帝の戦いカイザー・シュラハトといいます。

同盟国の単独休戦

ブルガリア

1918年9月、ブルガリアは連合国と休戦協定を結びました。

オスマン帝国

1918年10月、オスマン帝国は連合国と休戦協定を結びました。

オーストリア=ハンガリー帝国

1918年12月、オーストリア=ハンガリー帝国は連合国と休戦協定を結びました。オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝はスイスに亡命しました。

ドイツの議会政治の復活と休戦協定

負けを悟ったドイツの軍部の指導者たちは、議会政治の指導者へと手綱を渡しました。これを受け、責任内閣制をもつ本格的な議会政治が復活し、ドイツ政府はアメリカ大統領ウィルソンとの休戦協定に入りました。

キール軍港の蜂起

ドイツでも革命が起きるのです。

1918年11月3日、特段、戦争にも参加していなかった海軍の指導者たちが、
待遇の不満から水兵たちのキール軍港で蜂起するように命じました。

これがきっかけで、即時講和を求めた革命へと全国に運動は広がっていきました。

ドイツ共和国の成立

革命の波がベルリンにも押し寄せ、ドイツ共和国が成立すると、
1918年11月10日、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに亡命しました。
また、国内の諸君主も退位しました。

コンピエーニュの森の休戦協定

1918年11月11日、ドイツ共和国政府は、コンピエーニュ(Compiegne)の森で連合国と休戦協定を結び、第一次世界大戦は幕を下ろしました。

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